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苦手

今年は調子いいと思ってたけど、やっぱり9月は苦手なままだった。油断していた。 楽しかったこと、日々の出来事、会った人、話したこと、過ごした時間、まるでアクセサリーのようにステータスにして見せびらかすように必死になってる人が一番嫌いだ。そういう人はその感じの悪さに、自分じゃ気づかないんだ。思い出にしたり記録として残したり記憶として刻んだりするのと、「それ」は、全然意味合いが違うし見え方も違う。 そして俺は自分でそう思いながらも、結局自分だってそれに該当しているんだろうなと帰り道に思った。情けないったらありゃしない。ぶん殴りたい。 こんなにむずかしくて、こんなに伝わらないんだ。一瞬で角度は変わって、突然ふりだしにもどったりする。 伝えようとしても届かないのだ。今までそんなの何度もあった。9月のせいにするのもおかしな話だけど、9月が苦手だ。結局こうなるのはいつも9月。 明日からの3本に向けてメンバーとスタジオ、あっという間に時間は過ぎて絶好調。終わって「よし明日からもぶちかますぞ」なんて言ってみんなと別れたのに、ひとり帰ればすぐこれだ。自分の器の小ささに嫌気がさす。 なんでもいいからなんか食べようと思って、ラーメン屋まで歩いたら臨時休業。仕方ないと思って近くの定食屋まで歩いたら「弁当の注文入ってるから30分以上かかる」と言われ退店。結局コンビニでお弁当とおにぎり買ってイートインスペースで食べる。おにぎりはうまく開封できず手がベトベトになった。奥の席でサラリーマンが電話口に向かって怒ってた。食べ終わったゴミを捨てようと思ったらゴミ箱がパンパンで捨てれなくて持って帰ってきた。猫に引っ掻かれ、手首より少し下がったところに3本深めの傷ができて、血が数分止まらなかった。水で軽く流すと、電流が走るように傷にしみ込んで痛かった。 全部難しい。言葉が喉の奥で詰まって、出てくる前に粉々に砕けて消える。でもがんばりたいと思ってるし、全然元気。明日からツアー再開、明日は仙台で初めてのワンマン、明後日は7年ぶりに福島でライブ。楽しんでもらえるように、胸を張ってステージにあがる。 明々後日は炙りなタウンが呼んでくれて10年ぶりに水戸でライブ。連れて行ってくれてありがとうだ。 しかし9月苦手だなあ。 崩れてく音がするのは、いっつも9月。

大人に負けない眼差しの彼方

いてもたってもいられないので、この気持ちを文字にすべく飛び込んだ喫茶店にて今あったことをダーッとブログに残す。携帯の電池は残り18%、打ち終わるのが早いか、充電が切れるのが早いか。どっちかな。 16日から20日までの東京5日間を終え、ついさっき、15時半くらいに札幌に帰ってきた。部屋について荷物をおろして、猫を撫でてご飯とお水を入れ替えてトイレの処理をして、ポスターを持って16時前に家を出た。 今月から始まった全国ツアー「FALL TIME BEST」のポスターを貼ってくれるところをTwitterで募集していて、それを見て「貼れます!」とメールを送ってくれた方と連絡をとっていた。今日の16時半に約束をしていたので、少し早歩きで向かった。 「正門まで来てください!」 と最後のメールに書いてあったので、正門に向かう。今日の約束の相手は、高校生。 「先生の許可も取れてます!」と事前のやりとりで確認していたので、うれしかった。 正門に着くと、メールを送ってくれた女の子とお友達が2人で駆け寄ってきて、初めましてと挨拶。その子はThe FloorのTシャツを着ていた。 するとその子が「シンゴさん、すみません。」と言う。 「ポスター、最初貼れるって聞いてたんですけど、色々話していると、どうやら校長先生にちゃんと許可とれないとダメみたいでした。校長先生までは許可取れてなくて…すみません」 と教えてくれた。 いいんだよ、謝ることなんてないよ。もう十分嬉しいよ、ありがとう。心の底からそう思った。 彼女は「でも」と言って、こう続ける。 「私たち、みんなから名前集めたんです!どうしても貼りたいから力になれるならなりたいから、こんなに応援してるんだってことを伝えたいから何になるかわからないけど、名前集めたんです!で、今校長先生会議中らしくて、それ終わるの待ってます。終わったらその署名たち持って、直談判してこようかと思ってます!!…だけど、貼れないかもしれないから…そのときはすみません…。」 と言う。 胸がギュッてなって、 奥歯のもっと奥の方が軋んで、 喉が詰まるのがわかった。 一瞬で色んなことが頭をめぐって、でも、声にならなくて、僕は「ありがとうほんとに。大丈夫だよ、ありがとう」みたいなことしか最初言えなかった。 自分が高校生の頃、何かを変えたいとか何かをしたいとかこんなことをしてみたいとか

僕等の好きなもの

中標津町という小さな町で生まれ育った。北海道の道東に位置していて、札幌からは車で6時間くらい。時間でいうと、東京から大阪くらいか。それでも、札幌も中標津も同じ北海道ってんだから、本当に広いな北海道は。その中標津町で『SHIRUBE 2022』というフェスを開催してから、ちょうど1年が経った。あの激動の日々は、振り返るだけでパワーが必要なので、あんまり振り返らずにいた。そんなことをしなくても、いたるところに全部染み込んでいる。 『SHIRUBE 2022』とほぼ同タイミングで『ユアキャンバス』という本当に大好きで最高な4枚目のアルバムが発売したから、あれからも1年が経ったってことか。ユアキャンバスを携え回ったツアーは、今まで回ったいくつかのツアーのどれとも違く、アルバムリリースの全国ツアーとして本当にどの瞬間も美しくて、ふとした時にすぐ思い出している。YouTubeにアップしている各公演のダイジェスト動画も結構見ている。アルバムは自信作だったし、ツアーも最高だったからこそ、11月19日セミファイナルの札幌PENNY LANE 24のワンマン、埋めれなかったのは本当に悔しかった。何回言うのよって感じだけど、俺はこの街のバンドなのでいつまでも言う。ライブはバカほど最高だった、だからこそだ。ファイナルはリキッドルームでワンマン、THA BLUE HERBがいつもやるところだ。足が震えた、当たり前だがライブは最高だった。ビールが美味かった。 2020年、3枚目のアルバム『大切にしたいこと』をリリースして、ボイガルは初めての全国ワンマンツアーをやろうとしていた。そのツアーの初日が、旧KLUB COUNTER ACTIONだった。結果的にコロナでツアーは全て中止になり、その全箇所分のワンマン公演を札幌moleから無観客の生配信でやろうと切り替えた。13公演分。毎公演、そのライブハウスの看板をでっかいプラスチックダンボールに手書きで再現して、moleのステージに飾ってライブした。 んで、その配信ツアーでは本来初日だったカウンターのワンマンをファイナルにして、カウンターはカウンターからやろうとなった。10何年も前に人生で初めて入ったライブハウス、カウンターでワンマンやってますって言えるバンドになれるなんて、こんなに心強いワードない。 そんな初めてのカウンターでのワンマンは無観客だった

走る快速エアポートの中より

東京に向けて札幌の部屋を出発。 明日は代官山UNITで、自主企画「ノロシヲアゲロ6」が控えてる。会場入りする時間も早いので、今日のうちから東京に入る。 ゴールデンウィークはいつも、新宿JAMのJAM FESに出ていた。もう、何年も出ていない。1日に3回、昼と夜と早朝、心も身体もすり減らしながら何度もステージに立った。朝方5時、新宿JAMに120人のお客さんがボイガルのライブを見にきてくれた時の光景は、今も覚えている。 ステージにいられなくなり、最後の曲がまだ終わるまえにステージを降り、号泣しながら過呼吸になりながらあの狭い廊下に倒れこみ、そんな俺を泰雅くんが抱きしめてくれていたのも覚えている。 それでも、飛行機代のバカ高いゴールデンウィークに東京に行き、どこを観光するでもなく朝から晩までJAMにいて、時には朝から朝までJAMにいて、スタジオで仮眠して、漫画喫茶でシャワーを浴びて、最後みんなで号泣していたあの日々が、今でも俺の手を引いてくれる。 2020年4月、自主企画「ノロシヲアゲロ4」を代官山UNITで開催予定だったけど、コロナの影響もあり中止にした。まあ、仕方なかった。仕方なかったんだあれは。 2022年3月、自主企画「ノロシヲアゲロ5」を大阪で開催した。4に出演予定だった、motherと花柄ランタンが出てくれて、3マン。あの日俺はライブで着るTシャツを、サポートメンバーのみんなに書いてもらった。 ユアキャンバスの発表をした日だった。 コロナ禍を彷徨いながら、何ができるか、今なら何ができるかっていう、そんな狼煙だった。何かを変えたかったのは事実だった。あの日のmother、そして花柄ランタンから、勇気をもらったんだ。 明日は自主企画「ノロシヲアゲロ6」、代官山UNITで開催する。もちろん、4のリベンジの気持ちも当たり前にある。あるけど、あの日と同じ出演者ではないし、俺たちには俺たちの現在地があるから、最新まっさらな気持ちで「6」を開催する。 4に出演予定で今回残念ながら出れないズーカラデルとサリバンとKiNGONSとは、またどこかで。mother、SEVENTTEN AGAiN、ナードマグネット、花柄ランタン、FINLANDS、ircle、ハルカミライは、中止になった4を超えて6まで来てくれた。そして新たに炙りなタウンと39degrees、なんにも気にせず、いつ

最近

2023年の4分の1が、あっという間に終わっていた。はや。 ENDROLL AFTER SCHOOLから、1ヶ月経ってる?うっそだあ。 「みはるの頃」配信リリースしてもうすぐ2ヶ月?またまたあ。 駆け足すぎる。このまま気づいたら40歳になっているのかなあ。 最近、毎ライブ、泣きそうになる。 その日がどんなイベントか、そこがどんな場所か、共演者たちがどんなライブをしているか、仲間たちがどんな表情をしているか、とか、一つのステージに纏わるあらゆることをなるべくこぼさないように自分の中に染み込ませて、マイクに向かっている。今までもそうしてきたつもりだけど、最近、特にそれが自分の中で強くできている。強くできているってなんだろう。 でも、強くできている。そんな気がする。 自分は、ロックをやっている。ロックが好きだから。 だから、ロックを好きな人たちにもっともっと見てほしいなと思う。こういうロックはどうだろうって。 そして、ロックが好きじゃない人にももっともっと見てほしいなとも思う。こういうロックはどうだろうって。 音楽あんまり興味ないって人には、もっともっと見てほしいなと思う。こういう瞬間があるのはどうだろうって。 自分は札幌でロックバンドをやっている。 札幌でという言い方が合ってるかわからないけど、札幌で暮らしながら札幌を拠点にロックをやっている。ロックが好きだし、札幌が好きだから。 でも、今では好きな街がいくつもできた。ロックをやっていなかったら、こんなことは思わなかっただろうなと思う。 バンドは、13年目に突入した。 22歳ではじめたバンド、毎年色んな出会いがある。よく「何年周期でお客さんは入れ替わる」という話を聞く。何年だっけ、3年だっけな。そういうの聞くたびに、そうなんですねと言いながら「なぁに言ってんだか」と心の中で思っている。そういうこと言う人は、寂しい人だなと思う。ライブハウスに来なくなった人のこと、自分のライブに来なくなった人のことを、なんだと思ってる? 入れ替わるもクソもない。みんな生きている。死んでしまった人もいる。 好きな食べ物も嫌いな食べ物も変わる。人生も変わる。 生活が変わりリズムも変わる。大切にすることの優先順位も変わる。体調も変わる。病気にもなる。 ボーイもガールも、なんだってんだ。 飛びたきゃとべばいい。泣きたきゃ泣けばいい。上げたきゃ上げれ

放課後の思い出

いまだに思い出すだけで、ぽろぽろ涙が出てくる。 情けないったらありゃしない。いつまでも変われないね。 3月1日、水曜日。 札幌moleにて、THE BOYS&GIRLS企画「ENDROLL AFTER SCHOOL 2023」が無事開催された。 3月1日という日は、全部ではないけど、多くの高校が卒業式を迎える日。3年生にとってその日の放課後が最後の放課後になる。その最後の放課後に流れる最後のエンドロールの正体を、学校飛び出してライブハウスに探しにいくのはどうだろういうもの。そこにはもちろん後輩たちもいて、こんな放課後もあるんだって体感したり、とか。 自分が高校生の頃にしたくてもできなかったことを、ただやりたいなってところから、2018年に初めて開催した。今年、5年ぶり2回目の開催。2019年は、俺がこの時期に舞台の仕事が入ったためできなかった。2020年は開催直前でコロナ禍スタートで中止。2021年、2022年も色んな状況から断念。そして本当にようやく、今年開催。嬉しかった。 出演してくれるアーティストを募集。応募してきてくれたのは10組。 当初3~5組で考えていた。1組あたり25分オンステージの時間を与えるにはそのくらいの数が現実的。でも、なんか、もう無理、選ぶの。そういうの無理だった。 2018年の時を思い出した。初年度開催で何組かお断りしたこと。それこそ、先日のこのイベントでギターを弾いてくれたSULLIVAN's FUN CLUBのカズマなんて「俺2018年落選だったんだよ。あの時のシンゴさんからのメール、今も残してる。もう5年かあ」ってこの前見せてくれた。「そっか、そういえばそうだったな、ごめんな」って、笑った。 そう、あの時、結構きつかったんだ。 ほんで、今回出した判断は「全員出したい。全員出したいからみんなの持ち時間は10分にする。それでも全員出したい」というものだった。応募してくれたみんなに「持ち時間10分でもいいかな」というメールをすると、みんなから返ってきたのは「何分だっていい」という返信だった。北風と太陽以外、moleでライブやるの初めて。というかそもそも、“外でライブやるのほぼ初めて”という感じだった。 だからこそ、少しでもリハーサルも経験してほしくて、みんなが会場に到着できる時間を照らし合わせながらギチギチなタイムテーブルを

どんな絵を描いていくのだろう

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なかなかどうして、うまく眠れない。眠れないというか、「今寝れたい」というときに寝れないみたいな。朝方、カーテンの向こうがうっすらと青白くなってきてるのを感じて、「もうか」なんて思う。猫は俺の体に完全に身を委ね、頭から爪先まで伸びるだけ伸びた態勢で爆睡。重いし暑い。かわいい。その寝方、本当に寝やすいの?と聞いても、ゴロニャアとしか言わない。かわいい。俺はビジネスホテルがめちゃくちゃ好きで、一番寝れる。自分のものがなんにもないところが、逆にいいんだろうな。 アスファルトが白く覆われてきた。汽車も遅延し始めてきた。 全国ツアーが終わり、札幌に戻ってきて、それと同時にこの街にもしっかり冬が戻ってきたらしい。 6月に最高傑作「ユアキャンバス」発売。そこから「YOUR CANVAS TOUR 2022」がスタート。5ヶ月半の間、何度もこのアルバムに背中を押された。 6月19日、初日千葉LOOK。名物のデカポスター。ちょっとした諸事情があり、初日はアー写メインのデカポスター、2本目福岡公演以降はツアービジュアルのデカポスターも加えられ、デカポスター2つを千葉LOOKから受け取りツアーに回った。千葉LOOKの過去の歴史にもこんなことはないらしいし、おそらくこれが最初で最後だろうと言っていた。数々のロックバンドたちの歴史を、ボイガルが塗り替えた。時速36kmと共に、「この旅は終わらないのさ」と歌いながら、終わりに向かって走り出した。 汗っかきの俺には、5月から9月までの本州は夏である。7月9日、福岡Queblick、無論だらだら汗垂らしながら会場へ。もう何年もずっと気にしてくれていて、バンドがどうなってもいつも笑わせてくれる。遠く離れた街で、年に数回しか顔を合わせなくとも、紐がほどけるたびに結び直してきた。もしもいつかボイガルが、Queblickをソールドさせたら、首藤さんやキャサリンさんは何て言うだろうか。きっと、「調子に乗るなよ」って言葉の次に、ビール飲ませてくれる。そうに決まってる。化学反応を信じた最初の夜、初対バンのLONGMAN、思い出せばさみしくなる。この日の最後は、ボイガルの曲でもLONGMANの曲でもなく、10-FEETの曲をヒライくんと歌って終わった。ヒライくんが「10-FEETがルーツ」と話してくれたから。ステージ袖にはメンバー。フロアには何を見せられてんだって笑

ゴーストレート

6月から始まり、月に1~2本くらいのペースでゆっくり回っている「YOUR CANVAS TOUR 2022」、月が変わってしまったけれど、先月広島公演と神戸公演があった。 思い出すだけで、疲れてしまうような、そんな二日間だった。 18日、夜の便で俺たちは関西空港へ。 少し遅れた飛行機は、23時半くらいに着陸。そこで、東京から走ってきていた機材車に乗り込む。ツネさんとつじとPAのりんくんが待っていた。そこから車で約5時間、広島のホテルに着いたのは朝の5時くらいで、シャワーを浴びてすぐに寝た。 朝起きてカーテンを開けて、会場へ向けて出発。 車の中で智也さんの「手をつなごう」が流れた。つじが、智也さんのライブの時のように「まだサビじゃないですよ〜」と真似をしていた。 車の窓から見えた海が綺麗で、頭の中で「ウルトラマリン」が流れる。 「そうだ、今日はハルカミライとか」なんて思った。 YOUR CANVAS TOUR 2022、3本目、広島SIX ONE Live STARという初めての会場。 初めてだけど初めてじゃないというか、いや、完全に初めてなんだけどなんだか不思議な気持ちだった。 2020年、3枚目のアルバム「大切にしたいこと」をリリースして、ボイガルは全国ワンマンツアー「少年少女の星屑」を決めていた。広島も入っていて会場はBACK BEATというライブハウス、何度かお世話になっていた。しかし、コロナで星屑ツアーは中止、無観客生配信の全国ワンマンツアー「少年少女の灯火」に切り替えた。 灯火ツアーは、【中止になった星屑ツアーの全箇所分のワンマンを札幌から生配信でやり、終演後は会場の店長さんたちとリモートでアフタートークをする】というものだった。 広島BACK BEAT編も勿論あって、しっかりライブをした後、店長の藤堂さんとリモートでお話をした。「いつかまたバックビートに来てくださいね、待っています」と藤堂さんは言っていた。 2021年、シングル「town to town」のツアーで、改めて広島はBACK BEATを押さえた。ようやくバックビートに行ける。そう思っていた。しかし運命の悪戯か、バックビートは公演直前で閉店が決まった。そこまでドラマチックにしなくていいのにね。 バックビート閉店により急遽会場はバンキッシュ。あの日、PAはバックビートの金子さん、照明はバックビー

39分18秒の夏

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2000年、小学校6年生の頃。クラスメイト達と「バンドやってみよう」という話になった。千葉ちゃんがギター弾けたし、山家がドラム持ってたから。「何からやる?」「わかんないけど、ラルクやってみよう」「そうだね、ラルクやろう」ってなった。俺は、楽器買ってもらえなさそうだったし、ボーカルになった。 「ライブもやってみよう」となって、先生に相談して卒業式の少し前に学校の視聴覚室を使わせてもらって、開催した。「HONEY」と「STAY AWAY」の2曲。バンド名は「RAMPAGE」にした。健太の家にあった英和辞書を使って、見つけた単語だった。 あれが、人生で初めてしたライブだった。 それから2003年10月の中3の頃の文化祭、2007年3月の高校生活の最後に、1回ずつライブをした。高校を卒業するまでに経験したライブは3回、いずれも出演者として。 俺は、ライブを「見に行く」という体験だけは、当時できなかった。 高校を卒業し2007年3月の終わり、最後に自分の部屋にあった安いラジカセに、SUPER BUTTER DOGの「サヨナラCOLOR」のシングルをセットして1回聴いて家を出て、地元を離れ札幌で一人暮らしを始めた。 新たに始まった札幌での生活は、刺激的だった。 出会った友人達は、みんな音楽に詳しくて、みんな「ライブ経験者」だった。「いついつの、どこどこの、誰々のライブが」と色んな話を聞かせてくれた。その度に、「いいな、俺の地元にはそういうのなかったから。羨ましいな。」と、いつも思うことは同じだった。でも、みんなの話は楽しかったし、俺も早く「ライブを見に行ってみたいな」と思った。 その年の8月、「みんなでライジング行こう」という話になった。すぐにみんな「最高!行こう!」となった。カズトがそういうの詳しかったから色々教えてくれた。心臓がバクバクした。 カイトが当時市電通りに住んでて、近くのローソンまでみんなで行って、14,000円の通し券を買った。買い方がわからなかったから、カズトに教えてもらいながら。手が震えた。 金魚の糞みたいに、みんなにくっついて、色んなライブを見た。 それまでイヤホンの向こうにしかいなかったのに、雑誌の中にしかいなかったのに、ビデオの中にしかいなかったのに、歌詞を書き写したノートの中にしかいなかったのに、みんな俺の目の前で演奏していた。ここからだとこんな風に

変わるしかないぜ

生きて、また会いたい。そんなことばかり思う。 完璧な人なんていないし、うまくいっているように見える人でも、きっと見せない傷がある。 だからこそ、生活の中にふと流れる音楽というものを信じている。俺にとっては音楽が一番近くにあるから。だから、音楽が結んでくれる目に見えない結び目を信じている。 23日、下北沢、SEVENTEEN AGAiN企画「真夏のリプレイスメンツ」 思い出すのは、2009年から2010年にかけての札幌北区、ガラガラのライブが終わった後の情けない打ち上げ。あの日誰かが急にSEVENTEEN AGAiNというバンドの曲を流した時が、始まりだった。どんなに追いかけても擦りもしなくて、その度に諦めて、それでもずっとほどけなかった。俺のそばにいてくれた。 2019年春、うちのメンバーが脱退してすぐ、下北沢で対バンした時。俺は弾き語りで、SEVENTEEN AGAiNはバンドで。あの日、終わった後に外でヤブさんが話してくれたこと、すごく嬉しかった。「俺にはバンドが見えたよ。だから大丈夫だよ」と、あの人はその時、俺に言った。 リプレイスメンツ、知ってるバンドが呼ばれていくのを唇噛み締めながら見ていたこれまでの日々。「いつか俺も」そんなことを思っていた。 2022年夏、ヤブさんから声がかかる。ずっと待っていた。 ボイガルは1番目、まだ熱さが上がりきっていない楽屋でその時を待っていた。 ヤブさんが来て、「前説するから、それ終わったらボイガルの流れね」という。俺は「わかりました」と答えた。 ヤブさんが前説に出て行くまでの数分、ステージにつながるドアを背にして、ヤブさんと並んで座り、話をした。リプレイスメンツのこと、あとはなんだっけ、何話したっけ。 俺にとってのあの数分は、ドキドキして、優しくて、愛しくて、なぜだか「生きよう」って思わせてくれたものだった。だから、数分後に始まるボイガルのライブも、見てくれる人がそんな風に感じてくれたらいいなと、漠然と思った。 後ろまでよく見えた。たくさんの人の中で、何度も頷いてくれていた人がいた。 いいライブができた。胸を張ってそう言える。なぜなら俺は生きているから。命のまま、あの日の俺のままで、ステージに立てていた。そこに嘘はない。そして、もっと強くなりたい、そう思えた。 出番が終わってすぐ宿に帰り、布団に横になりながらひとりSEVEN