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いつかまた会えるその日まで

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昨日、2015年最後のボロドンバーンの放送だった。んで、昨日のボロドンバーンが、おーちゃんとの最後の仕事だった。 2014年8月に俺たちは初めてのシングル「すべてはここから」をリリースしたんだけど、それに伴って春の手前くらいだったかな、札幌で何か動くときはおーちゃんがついて来てくれるようになった。ラジオだったり、お店挨拶回りだったり、取材だったり、色んな話を持って来てくれたりもした。メールにはいつも最後に風車がついていた。2014年6月、すべてはここからのMVを撮影した時も朝4時とかに一緒に集合して俺たちが演奏シーンを街のど真ん中で撮影してる間にヤンキーに何か怒られたりしていた。ピンクの自転車に乗っていて、ころころ髪型や髪色が変わっていた。おしゃれでかわいい人だったけど、強くたくましい人で、ビールをよく飲んでいた。2014年8月、ミュージックジャパンの収録がNHKホールであったときもわざわざ会場に来てくれて、とってもよかったよと言ってくれた。ジョインのときも詰め詰めのスケジュールの中ばっちりサポートしてくれた。母さんみたいだった。 今月の16日に、いつものようにボロドンバーンの生放送で局に行くと打ち合わせの前にいきなり「実は、今月いっぱいでお別れなのでござる。」とか言い出して、なぬ?ってなった。さみしいなあと、とってもシンプルに思った。 でも、そう、俺たちはあすなろ。 状況はかわってゆくし、変わらずに変わり続けるってことは、こういうことでもあるんだって思った。 昨日放送が終わって、そのままノースで、チームボロドンでビールをたくさん飲んだ。2015年お疲れさまというよりも、おーちゃんとの「とりあえず」のお別れ会だった。ずっと笑っていたし、トモヤさんのふざけたギャグに対して「ばか、やめなさい」と、いつものようにつっこんでいた。これまでの活動においてこんなに長くこの街で俺たちのために頑張ってくれた人はもちろんおーちゃんだけだったから、初めての感情になった。ボス達が東京にいるから、この街ではいつもおーちゃんがいてくれたから。ノースの中で、ましてやおーちゃんの前で泣くのはあまりにもかっこわるいと思ったので、俺は短時間でめっちゃ飲んでずっとへらへらしていようと思っていた。 終電の時間が迫り、みんなでノースをでた。カイトとトモヤさんはそこでバ

響くとこで

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21:00から狸小路2丁目で歌います、今年最後の狸小路です。 また後ほど、かく。 ---------- というわけで、昨夜は今年最後の路上ということで札幌狸小路で歌ってきました。ダントツのこの冬一番の寒さでござった。 ツイキャスを使って12曲目まで配信していたんだが、1000人が聴いていたのかと思うと、ネットの力には頭が上がらないな。 現場の60人はスースー言いながらガタガタ震えながら聴いてくれてね、ありがとう。寒かったら腕立てとかしていいからねって言ったんだけど、aikoのえりあし歌ってる時に男の子が腕立てし出して、あいつ最高だったな。ほんとに。なんか嬉しかったもん。 何か下半期は男ちょっと増えたかも。嬉しいな。男にモテるのってめっちゃ嬉しいんだよなあ。まだまだこれからだ。 路上やると、色んなことを感じるのだ。 明日は今年最後のライブ。 あえて、ちゃんと意識しよう。

どんな気持ちでそれ書いてるか言ってみろ

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男として生まれた以上は「いい女」ってこういう女ってのが俺にはあって(30項目くらい)、もちろん女の人にも女として生まれた以上は「いい男」ってこういう男ってのがあると思う。 だから何って話だけども、 やな感じだなって思ったことが街に出てあった。 クリスマスということで、ということなんてなくて、コーヒー飲みながら手帳とノート開いて色々整理しては色々浮かんでぐしゃぐしゃにしてる。外は真っ暗です。焦りと不安は似ているけれど全然違うものでもあるってことは、だんだん具体的にわかってきた。今は一旦休憩、ブログを打っているってわけだね。 今年ライブがあと2本。路上は年内はできないかな、元気だったら27日にやろうかな。赤レンガテラスの外の広くなってるとこって、いきなり歌ったりしたら怒られるかな。 今日やろうかなと思ったけど、なんかクリスマスが見え見えすぎてやめた。クリスマスだから歌おうってのは全くなかったけど、クリスマスか…ってなって、そんなのに左右されてる俺も俺だが街は人が多そうだし、こんな聖なる夜に「お姉さんこちら手のなる方へ!」とか歌われても多分街の人嫌な気持ちになるだけだし。せめて、小さい声だったり優しさが溢れるような歌いかたができればいいんだけど、そういうの無理だし… 俺、ツイッターは30人くらいしかフォローしてないからホーム画面は大したことないんだけど、リプライくれたりリツイートとかお気に入りとかしてくれた人は時間あるときたまに見たりすることあるんだけど、当たり前だけどいろんな人いるんだなあって思ってそれが楽しい。そういう時は、この人はこんなこと考えてるんだとかどんなこと呟いてるんだろうとかは全然なんでもよくて、つぶやき方っていうか文の書き方を主に見ちゃって(もちろん内容も見るけど)、この人はこんな書き方をするんだなあって勝手に納得するのが楽しい。こんな書き方できる人かっこいいなあって思う人もいる。内容はなんでもいい。気づいたら間違ってフォローしちゃってることめっちゃある。めっちゃ面白い書き方だなあって人もいるし、人間ってすごい。みんな歌詞書けばいいのにな。 そしてブログに来るコメントはほんとにめっちゃ読んでる。遡って読んだりしてる。たまに消されちゃってる時もあるんだけど、余裕で読んでる。嬉しいんだわ、ブログのコメント。でもなるべく名前書いてほしい、、匿名でも全然いいんだ

新しい顔

進まないって悲しいな。 進めないって悔しいな。 バタコさん、新しい顔お願い。 ばいばいきーん。

武道館

フラカンの武道館公演、ついに今日だなあ。もう少しで始まるなあ。 11/22札幌ペニーレーン24でツーマンをした時、お客さんから応援コメントを集めようって思って急遽模造紙とペンを用意して楽屋でその辺にあった紙でコメント用紙を作ってコピーして切って、終演後フラカンにバレないようにフロアでお客さんに書いてもらった。自分でのりをつけて、自分で貼ってもらった。たくさん集まった。 ただ、前にも書いたけど、俺が言い出しっぺで始めといてその光景になぜかどんどん悔しくなってって早く俺も武道館でライブしたいって気持ちが強くなってっちゃって。フラカンのこと羨ましいなあって思った。 フラカンは、誰がどう見ても、色んな分野の人から愛されているから、素敵。 武道館でやるってことは、本当に夢のあることだと思う。ただ、 バンドの数だけ物語はある。年齢も、経てきた年月も違う。フラカンが今日魅せるものはきっとものすごいものなんだろう。 だけど、それなのに、 「最近のバンドみたいにポンポーンと武道館やっちゃうバンドとは、ワケが違う」みたいな言葉を発する人は結構いるんだな。わかんなくもないけど、でも、あんたはそのポンポーンとやった最近のバンドの武道館のライブを見たのか?って言いたくなる。ご法度だよそんな発言。 そのアーティストのことが好きで好きで金払って集まっているひとりひとりが、すべてなのだ。 大好き、フラカン大好き。

帰ろう

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昨夜は今年最後の道外でのライブで、場所は東京下北沢ベースメントバーでした。今年ベースメントバーでは自分らのイベント「ノロシヲアゲロ」もやったし、ワンマンもやった。本当にお世話になったライブハウス。 昨日、オープンしてからひとりの女の子が話かけてきてくれて、少しお話をしたんだけども。その子は、ボイガルを知ったのは最近でライブを見るのは今日で2回目ですと教えてくれた。俺と話すの多分すごい緊張してて、勇気出して話しかけてくれたんだと思う。それが伝わってきた。時折、目を隠しながらも、うーんって必死に言葉を探して話をしてくれたその子は、来年は受験があるからきっとライブあまり行けないけど、いつか札幌にも見に行きたいですと言っていた。 みんな、それぞれの生活があり、それぞれの感情がある。だから、素晴らしいのだ。面倒くさいんじゃなくて、素晴らしいのだ、と思う。惑わされないでね。それぞれにそれぞれのマインドがあって、それぞれが素晴らしいんだから。 昨日めっちゃ何か最高だった。何だったんだろうな。 ゆっくり話を聞きたいんだけど、いつかの今日がどこかで待ってるから次の場所へ行かないといけない。全員と話したいくらいだけど、大切なのはそこじゃないってのもわかってるし。 でも、いつも俺ばっかり伝えて、君の話は聞いてやれないなんてそんなのもなんか、俺自分勝手だし。しゅん。ごめん。 でも俺たち友達でも恋人でもないから何ともできないし。だから一生懸命ライブするっきゃない。一方的にだとしても、俺は言葉を発信し続けないといけない、歌をたくさん歌わないといけない、たくさん笑って変な顔して汗たくさんかいてるとこ見せてあげたいって思う。思った。 俺の音楽が、俺たちの音楽が好きです〜って言ってくれる人に本当に感謝している。ありがとう。月並みな言葉だけども。 今年あと4本。全部道内。 とってもとっても楽しみだし、最高のライブするからたくさん笑ったり感動したりうおおおおってなったりしてほしい。 ステージから見るフロアのあなた方が、何よりも優しいロックバンドに見える瞬間がたくさんあるのだよ。ほんとだよ。また、対バンしようね。

高円寺コーリング

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昨日の高円寺、ベランパレードの時に、ユリエちゃんの歌のソロのとき「なーんーだーかー」を伸ばさないでメロディー無視して「なんだか…!」って言ったときにめっちゃ感動した。そしたらその後のサビであびがろくに歌わないで「ユリエちゃん大きい声出るようになったねえ!声が遠くまで届くようになったねえ!ユリエちゃん、声が遠くまで届くようになったねえ!!」って言っていたのがとても感動した。あびには、そうであってほしいと思った。昨日のあびが、ここ数日のあびでイツトーあびらしかった。その瞬間とその先を見てる男はかっこいい。 12/6のとき、前にいたお客さんの手を掴んで俺のべちゃべちゃの顔の汗を拭かせるというのをやってしまってね。なんかテンションあがって。その写真がこれなんだけど↓ (撮影:ほしね) 終わった後にめっちゃ反省したんです。ほんとに… これはよくないなって。ライブみんな来なくなっちゃうなって。「ボイガルのライブ見に行ったら手掴まれて汗拭かせられる」って。 たとえばこれ、ドルーグのカタヤマ君とか最終少女ひかさの但野正和さんとかだったら、全然いいんだよきっと。かっこいいし、きれいだし、清潔感あるし。むしろ、拭かせて!ってなるもんな。でも俺は確実にだめ側のタイプなんだよね自分でわかるもん。汗のかき方がなんか清潔感ないしべちゃべちゃだしハゲてるし…。ライブ中の見た目とかは全く気にしてない(どうすることもできない)けど、そういうのはやめようって決めたんです。 んで、昨日の高円寺HIGH、セッチューフリーの年末スペシャル、俺たちは大トリで。嬉しくてね。ほんとに。最強のライブしてやろうと思ってさ、 (撮影:YURI) やっちゃった。結局やっちゃった汗拭かせるやつやっちゃった。しかもやったあとこの人のことほったらかし。もう俺最悪。最悪な男、俺!この人、また来てくれるかな。もう来てくれないかもしれないよな… 誰か、この人の知り合いの方いたら、シンゴさんが本当に申し訳ないと思っていると言っていた!と伝えてください… セッチューフリーは、物語があるから好きだし、出たいってなる。ほんとに、1本1本物語があるの。なんで年末スペシャル高円寺HIGHでやってるかってのも、昨日知って、めっちゃグッときた。セッチューフリーの千葉さんっていう代表のひとは、そういう人なんです。ほんとに。もうすぐ20周年だ、セッチュ

そんな日々

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要は、マインドの話。

どんな日々

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今日、ベランのあびと、人性補欠のアフロと、トモヤさんとケントボーイズと5人で宮崎で昼ごはん食べて、鹿児島に車で来た。夕方についた。 「ここ九州なんだよなあ」って何度も思いながら、桜島に降りそそぐ太陽の光をたまに見ながら、運転していた。助手席でケントボーイズが言っていた言葉に妙に納得した。 俺たちは、公式な「CDをリリースしてからの全国ツアー」ってのをしたことないから、どんな気持ちに当の本人たちはなるのかがわからない。全国ツアーしたら、どうなるんだろう。 今、鹿児島は16度。パーカー1枚で外に座ってこのブログを打ってるわけだけど、明日は一日中雨らしい。 さっき、セルザラフブッチのライブを見てきた。鹿児島SR HALLで。最高のライブをしていた。最前列にいた男の子の目がキラキラしていた。 九州にきて4日目の夜にいる。 今日、夕方に人性補欠が連れて行ってくれたウォークインスタジオというところの壁に貼ってあったたくさんのフライヤーを眺めていると、1枚のフライヤーを見つけた。 みんなが下にいるとき、俺は階段の一番上の段にひとりで座り、溢れそうになった涙をこらえた。 本当に本当に長かった。 ようやく、あの日からずっと願っていた夢見ていた鹿児島で、ライブができる。大好きな人性補欠の、ツアーファイナル。俺たちを選んでくれた。 精一杯の音楽、夢いっぱいの音楽、胸いっぱいの音楽で、とびきりの笑顔でいく。 あの日叶うことのなかった少年と少女のむきだしのメロディーが、時をこえて今、高らかに鳴り響く。

とびきりの笑顔で

この前最後に会ったとき、彼女はそベッドの上で「しんご、いい髪だね」と小さな声を振り絞るかのように優しく言ってくれて、その時の顔も声も、俺が着てた服も覚えてる。 昨日、予定より10分遅れで福岡空港に飛行機が着陸して、機内モード解除したら「今朝、亡くなったよ」とメールが来てた。苦しまず、穏やかに、目を閉じていったらしい。 ライブハウスに着いて、リハーサルをして、楽屋には気持ちが詰まっていて。昨日は「みえない星」という名前の夜だった。本番前、グラフの前、満車のパーキングの端っこに座ってギター弾きながら曇り空を見上げると、ポツリ、ポツリ、ほんの少しだけ雨が顔に当たった。ここからそこは見えないけど、そこからここは見えるのかい? 2015年12月6日という日に、みえない星という夜に、歌えたことを心から幸せに思った。みえない星は胸の中。涙は雲の中。たくさん笑った。だって彼女からの手紙には、俺への宣戦布告が書かれていたから。 ほんとに不思議なもんで、どうしてここまで物語は繋がるんだろうか。俺の長所だな、これは最早。もし長所を訊かれたら「物語が繋がること」って答えよう。 今夜も福岡、街中から少し離れた北九州小倉FUSE。 そう、俺たちは次の場所へ。物語は繋がって、やがて君に辿り着く。俺が導こう。 あとせっかく福岡来たことだし、眼鏡買った。 福岡と眼鏡って全然関係ないけど。

0度

結局うまいこと寝つけないまま迎えた朝っぱらの朝っぱら。そんな感じで0度の札幌を出て、今年最後の新千歳空港行きの快速エアポートの中です。 今日は今年3度目の福岡でのライブ。 飛行機の時間の都合でおそらくリハーサルに間に合わないんだけど、そう、俺と福岡は映画、リハーサルなんて恥ずかしいくらいだね。 そういえば、いつぞやの新宿で、福岡の子にサインを書いたことがあったなあなんて、思い出しては陽が昇る。あれは何年前だったかな。 思い出の手前で何もなくたってそれでもいい。 白い息を吐きながら、君は今日音楽になる。 その時、きっと 見えるでしょう。 君にはきっと見えるでしょう。

思い出していた

毎朝更新される毎朝読んでるコラムがあって、今日は水木しげるさんのことが書かれてた。 今日は最後の行に、「今頃、自ら描いたたくさんの妖怪たちと語り合ってるのかもしれない」と書いてた。片手なくなっても、へこたれなかったんだもんね。そこには溢れんばかりの愛があるんだもんね。 昨日夜、今日は早く寝ようかなって思ってたくらいの23時、歌いたくて歌いたくてどうしようもなくて結局歌ってきた。誰かに聴いてほしかった。誰も聴いてくれなくてもいいやなんて思えない俺は、歌は常に誰かに聴いてほしい。 いつだったか、モッズコートで立ち止まって聴いてくれていた。俺の声だけが響く狸小路で思い出していた。 先日、無印行ってからずっと「無印のベッド欲しいなあ」って思ってる。 俺はもうすぐ27歳の、 男の子である。 寝ようとすると目が回って、気持ち悪くなるやつ、あれなんなんだ。今夜ラジオ。その前に1本、札幌ライブ解禁。 今年はちょうど、100本だなあ。

誰かに涙をなんて言われても

28日の打ち上げの帰りに、ワールドピースのTAKAさんとお店の出口付近で少し話した時に、「だけど、そうならなかったんだ」ってTAKAさんが俺に言った。深すぎて重すぎて俺は、はいしか言えず。同じ北海道にこうして最高なバンドがいるのが嬉しい。俺も頑張らないとって思った。 最終少女ひかさ、NOT WONK、THE WORLD PEACE、B.B.JUNKIE。セッチューフリーはすんげえな。そこにLINKだもん。そこに混ざれて、嬉しかったなあ。 LINKに思い出ありすぎて、14年かかってようやくライブ見れて、そしたら自分も出る側で、でもそんなのLINK始まる時頭からなくて、ただただLINKのライブが観れるのが嬉しかった。本当に嬉しかった。かっこよかった。ヒーローだった。なんくんから引き継いだ4畳半の部屋で、同じ曲ずっと聴いてた日々が、色濃く浮かびあがった。 んで、この日一番嬉しかったことがあった。 LINKのライブ中、俺は前の方にいてめっちゃ歌ったりワーってなったりしてたんだけど、同じように歌ったりワーってなってるお兄さんがいて。その人は俺の路上とかライブとか来てくれてて。あ、この人もLINK好きなんだ!って思った。昔の曲とか来たらこっち向いて「きたー!」みたいな感じでハイタッチとかしてきて(笑)最高だーって思った。めっちゃ歌ってた。 終わったあとにその人が、「最高の日だったねシンゴくん」と話しかけてきてくれて、「ほんとですね。ていうかLINK好きなんですね、昔の曲もめっちゃ知ってましてもんね!」と言ったら、「いや、割と最近知ったんだ」とのこと。「シンゴくんが路上でLINKの曲を歌ってるのを聴いて、LINK知って、好きになったんだ。CDめっちゃ集めたんだ。」って教えてくれた。 その人は俺に「教えてくれてありがとう」って何度もいってきて、何度も握手をしてきた。汗だくでキラキラな顔で。嬉しくて涙出そうになった。 路上、俺がただやりたいだけでいつもやってるし、俺こんな歌好きだからみんなに知ってほしい!とかでもない。だから全然歌わないで喋りすぎるときもあるし、いっつも同じ歌だったりする。だけどそれでもこうやって、出会う時は出会う。今まであんま考えが追いついてなかったけど、誰かが新しい音楽を好きになる入り口への道標になっているんだなって思うと、胸がじんとした。それが毎回じゃなくても、

僕とLINK

中学生の頃、ストリートロックファイルという雑誌を買った。CDがついてた。そこで俺はLINKを知った。中標津にはLINKのCDが置いてなかった。 なので、俺はLINKを知って高校卒業するまでの5年間くらいLINKのCDは1曲しか自分で持っていなかった。でもなんでだっけ、ゴールドフィールドと愛の花は知っていた。3曲。 札幌に出てきて、りゅうたという奴と友達になった。りゅうたは俺に「ブルーハーツで何が好き?」と聞いてきて、俺は「夕暮れ」と答えた。すると、「バンドやろう」と言ってきた。 冬の日、西20丁目のファミリーマートの裏にあったりゅうたの家に行った。スーパードライの500mlをおごってくれて、ストーブのつかない極寒のりゅうたの部屋で俺たちは乾杯した。 りゅうたは、当時札幌で活動していたジェットサンダースの「夜はまだ始まったばかり」の着うたを設定していた。俺はそこでジェットを知った。 りゅうたの部屋に、たくさんCDやDVDがあった。そこに、LINKもあった。今まで俺が本の中でとかしか見たことなかったLINKのCDをりゅうたは全部持っていた。りゅうたは全部聴かせてくれた。 かっこよすぎて、どうしたらいいかわからなかった。 りゅうたがある日、「シンゴ、ライブハウスに行こう。シンゴの人生今日で変わるよ」と、俺をライブハウスに誘った。カウンターアクションというライブハウスだった。生まれて初めてライブハウスに入った。怖かった。暗かった。タバコの煙がすごかった。そこで最後に出てきたバンドが、りゅうたが着うたに設定していたバンドだった。俺は身動きがとれなくなった。その日、どうやって帰ったかはわからない。 とにかく、俺はパンクの、ロックの、札幌のバンドの、虜になった。りゅうたとバンド始めた。 りゅうたとのバンドは長くは続けれなかった。時は流れ、やがてりゅうたは東京のライブハウスで働くようになった。俺はボイガルを始めた。下北沢屋根裏に初めてライブをしに行った日、そこでPAをしていたのが、りゅうただった。久しぶりの再会は、涙と雨でぐしゃぐしゃだった。 LINKは解散していた。結局1回も見ることができず。ふざけんなと思ったけど、まあいいやと思っていた。するとLINKは復活した。2010年セッチューフリーサマーフェスタという川崎クラブチッタでのイベントで復活した。俺は見に行けなかった。パン工場

札幌が好き

東京も寒かった。ギリギリの寒さだった。雪のある北海道に向けて713便、祈りまくって、無事北海道着。 新千歳空港から札幌駅へむかう快速エアポートの中です。 快速エアポートの中でブログをこうやってポツリポツリ打つのは、一体何回目なんだろうなあ。 23日の下北沢にての日、羽田から下北沢へ直行して12時について諸々受付などしてから会場入り。13時から転換だったから少しドタバタした。気持ちが追いつくか少し不安だったけど、お客さん何人かに声をかけられて、やるっきゃないってハッとした。力を貰うのはいつも俺だ。新曲「階段に座って」を演奏してる時、マイヘアのともが腕をあげてるのを見つけた。目立っていた。セブンティーンアゲインは、ヒーローだった。 ラブ人間はどんな思いでいたんだろう。 札幌に帰りたい、札幌のバンドたちや札幌の仲間たち、札幌の街に会いたいと強く思った。あの街でまだ頑張りたいと強く思った。 24日に小谷美紗子さんのワンマンを見に行ってきた。御茶ノ水にあるフクモリというところ。普段は雑貨などが売っているようなおしゃれなところ、秘密基地のようなとこだった。中学の頃から大好きだったが、初めて生で観れた。めっちゃ疲れた。あんなにピアノ弾き語りで疲れたの初めてだった。 「今日来た人は、小谷マニアの皆さんね」と言っていて、会場は微笑みに包まれた。 一番大好きな曲、聴けるかなあと思っていたら、アンコールでやった。アンコールはその1曲だった。ほんの少しだけ涙が出たけど、とても穏やかな気持ちになって身体中をその曲が流れていった。信じることから始めないとって改めて思った。 帰り道、風が冷たかった。 んで、昨日は下北沢ライブホリックという新しいライブハウスでライブ。話したいことはMCで話した。とにかく俺はあのビルには思い入れがあって、思い出もあって、雨なんか降られたらそりゃあ色濃く鮮明に浮かび上がる。好きなバンドのライブ、好きな時に、行けるタイミングで、行くのがいい。一人だって、友達とだっていい。決めるのは自分。誰のせいにもできない。勇気を出して進めた足を、思いを、涙を、震える手を、小さな傘を、俺は絶対無駄にしたくないし音楽で何か力になれるのなら一生懸命音楽をしたいって思えたのだ。それは、あの日の下北沢屋根裏、雨の下北沢の夜のこと。 屋根裏はなくなっちゃったけど、同じビルにできたライブホリックで

僕とフラワーカンパニーズ

この歳になってもまだ、嘘と強がりばかり並べて本当に言いたかったこと素直に言えない時がある。あんなケンカ腰じゃなく、あんな生意気な口調じゃなく、あんな独りよがりな文字じゃなく、本当はもっと素直に伝えたかったはずなのにって思う時がある。 昨夜も俺は多分、そうだった。 考えれば考えるほど、目の前を見れば見るほど、今ならうまく話せそうだって思えば思うほど、口から出てくる言葉は行ったり来たりの冗談と、フラフラの強がりだった。「俺、本当にフラカンが大好きで大好きで、本当に今日が嬉しくて、今までずーっと大好きで」って、それだけで良かったはずだった。ありがとう、ありがとう、ありがとうって何百回も思った。その都度ありがとう、ありがとう、ありがとうって何百回も言えばよかった。 素直じゃないなあ…(笑) でも、本当に嬉しかったし、落ち着いていた。お客さんの顔を見てると、俺は頑張れると思った。MCなんて、ほんとに一言二言でいけると思ってたけど無理だった。全然喋ってないなあって思っていたら、喋りすぎていたみたいだった。 手のひらを合わせてをやる前、拍手がずっと鳴ってて、頭あげれなかった。 嬉しかった。 2階席で見た ロックバンドの本物に、涙が止まらなくて、何で涙が出てくるのかもわからなくて、でも止まらなくて、ただただ泣きながら踊ったり腕を上げたりした。俺の大好きなフラワーカンパニーズが、俺がさっきまでいたステージでライブしてた。俺たちの話をしてた。 だけど不思議なもんで、 ああ、もうすぐ終わっちゃうなあ、今日。 よりも、 ああ、早く終わらないかなあ、今日。 って、そんな思いの方が強かった。 早く終わって次の場所へ行かないと。俺たちは行かないと、って。 みんなが終演後書いてくれたフラカンの武道館応援コメント、最初は「ありがとうございます」ってめっちゃ思ってたけど、なんか段々悔しくなってきて(笑)、「俺も武道館でやりたい」と子供みたいなことを思った。どこまでも素直になれない自分にもうお手上げ…。 はあ。(笑) 5年前、フラカンと初めて飲んだお店。 昨夜の打ち上げはそこだった。 酔っ払わないように泣かないように、昨日はずっとジンジャーエール飲んでた。 あの日からずっと、ほんとにずっと俺たちのこと気にかけてくれている人がいて、その人の粋な計らいだろう、きっと。 彼に、この先大きくなっていく俺を見せた

僕のフラワーカンパニーズ

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高校生の頃、なんくんが「しん、これ。」とMDを1つ差し出してきて。いつものこと。ラベルにはアーティスト名とアルバム名がなんくんの字で。いつものこと。知らないバンドだった。それもいつものこと。「何だこいつら。知らねー」って思いながら1曲目を再生する俺。それもいつものこと。 「青春ごっこを今も続けながら旅の途中」 という歌い出し。それが、俺が、フラワーカンパニーズに出会った瞬間でした。それから、何年経ってるんだろうね、ずーっと今まで聴いてきた。ライブも見に行った。照明の仕事したくてコロニーでバイトしてた頃、ワンマンの照明もやった。でもそしたらバンドやりたくなった。照明じゃなくて、バンドやりたくなっちゃった。そんで前のバンドが解散して、トモヤさんとカイトと俺の3人でとりあえずスタジオに入り始めた2010年の冬の手前。俺も冬のにおいが好きだった。 5年前の自分のブログに、こんなことを俺は書き残している。まだケントボーイズと一緒に音すら出していないこの時期。THE BOYS&GIRLSがちゃんと正式に4人で動き出していないこの時期に、俺は誓っていた。向こうが俺たちを意識する日がきっといつか来るから、その時はツーマンをするんだと誓っていた。20年でそこまでいこうと思っていた。 あの日、ペニーレーンにフラカンのワンマン見に行ったあの日、雪が降っていた。その帰り道俺は、震える身体で必死に歩いて家に帰った。ついさっきのフラカンのことを思い出しながら、歌を思い出しながら、お客さんを思い出しながら。 明日の帰り道、俺は“あの日の帰り道の俺”に向かって言いたいことがある。これだけは絶対に、あの日の俺に伝えようって決めてることがある。 今決まってるのは、それだけ。 さて、セットリスト、考えるか。

そして

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ていうか1個前の投稿、こんなこと書いたら誰も俺と話したくなくなるよなあ。(笑) 全然思いやりないね〜 でも俺は絶対に逃げないし負けない。 誰がなんと言おうとも、誰が誰と居ようとも、誰がどこに去ろうとも、誰が来ても。

無意味

思いやりのある人が好きだなあと中学の時から思ってる。だから、思いやりのない人は嫌いだなあと中学の時から思ってる。そして、思いやりのあるというのは「怒らない」とか「きつく言わない」とかではないとも思ってる。 だからと言って何でもかんでも口に出せばいいわけではないけど、黙ってるのはもっとだめだ。時と場合によるけど。「時と場合による」って言葉の丸く収めよう感ずるい。 誰かに会ったとき、話すとき、この人は自分にとって今の場にとってどういう人だろうというのを瞬間的に考えるというところから、思いやりは始まるというのを中学の頃思った。今も思ってる。命はひとつ、性格も顔も声もみんな違う。だからと言って「人それぞれ」で色んなことを片付けるようにはなりたくないと思い始めた。 自分にされると苦手な話がある。なぜかその話になると、その場を離れたくなるような話。もうすっかり遠ざけるようになった。その話は、そこにいない人が一番悲しくなる話のことが多いから苦手だ。だから自分からすることも殆どない。 その話の中にいると、いつも思いやりがないなあって思う。そんな自分も思いやりがないじゃんとも思う。だからその話からは抜け出すようになった。 「自分にとってこの人はどういう人だろうというのを考える」というところに戻るけど、俺は誰かと話してる時たまに「この人にとって俺はそういう人なんだな」と思う時がある。いい意味での時もあれば、悪い意味での時もある。 思いやりのある人の話は聞いていて面白いし、心地よい。思いやりのない人の話はその逆。どんなに内容の濃い話でもそこに思いやりがないなら意味がない。それだったら、たとえば、思いやりのある人の「これください」というたった6文字でもその方がきっと数倍おもしろい。言葉がいったりきたりで結局同じところにたどり着くような話だったとしても、思いやりのある人の話は聞きたいと思う。 俺ももっともっと思いやりのある人になりたいなって、思うことがあった。 やわらかい心の持ち主にならないとなって、思った。 やる気なくなった奴はやめればいいと思う。別に悪いことではない、やる気がなくなっただけなんだし。そうもいかないことだってあるのはわかってるけど。 ただ、やる気なくなったことを誤魔化して、めんどくさいことはうまくかわして金魚の糞のようにやる気ある奴にくっついているのは、一番悪い。最悪だと思

ヤハタくん東京行くのか

ヤハタくんがバンド始めたころ、すぐCDをくれた。ダサくて下手でカッコいいみたいな表現があるけど、そういうのじゃなくて、普通にめっちゃいいCDだった。今でもたまに聴いたりする。一緒に路上したりした。梅子とかヤギとかがいて、コンビニで焼き鳥かなんか買ってきて食べながら。 モヨコも爆弾も東京へ行った。リョウさんは大阪へ行った。たいがくんも東京へ行った。めいちゃんも東京へ。さくも梅子もYURIさんも東京へ行った。 りゅーのツイートで知ったが、ヤハタくんも東京に行くのか。 数分後には空の上。 機内への案内の前から、「今日はマジで揺れます」とか、言うなよ。 俺も今から東京に行く。 そして、何度でも札幌に帰ってくる。

加湿器の音は雨の音

下書きが上書きされていく。 誰にも言えないまま。誰にも見られないまま。誰にも読まれないまま。 ずーっと下書きのまま。 どうするのが正解なのか間違いなのかわからない。気づけば理由を探してる。理由は探すもんじゃないはず。てことは、 もう、それが答えってこなのか? 下書きは上書きされて、ずーっと下書きのまま一生を終える。100万回言ったとしても、きっともう意味はないだろうって。

パワー

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1日 泊まってたホテルを出て、福岡天神へ向かった。電車の中であれやこれやと考えてはいたけど最終的に「ラーメン食べたいな」ってことに何度も行き着いちゃうから怖い街だ。 ライブハウス、CBってとこ。外にラブ人間のつねさんがいて挨拶して、そしたらまりなちゃん出れないってなってて。あらま、とにかく早く良くなってねって。中に入ると、ステージにはリハーサルのバンドがいて、ラブ人間の康平さんに聞くと「ココロオークションだよ」と言われた。はじめまして。 俺たちのリハも終わり、俺はこの日泊まるホテルへ一旦向かった。川で飛び跳ねてる魚がいて、ええ?!って思ったら、ボラだった。 オープン直前からスタートまでの30分くらいの時間で、康平さんと喫茶店へ行った。どこか行きたい店あるか?と聞かれて、あると答えてそこに行くと、「俺もよく来るところだ」と康平さんは嬉しそうだった。俺は初めて入ったけどとてもいいところだった。 はちみつホットレモンジンジャーみたいなやつを俺は頼んだ。 会場戻るとお客さんがたくさん。ユビキタスがめちゃめちゃかっこよくてムカついた。 久しぶりの福岡での夜はあっという間に過ぎた。本当にあっという間だった。打ち上げ、別会場でのイベントに出ていたバンド達との合流打ち上げになってて、誰も知らないし、隅っこで康平さんとユビキタスのヤスキーさんたちと飲んでた。気づいたらめっちゃ酔っ払ってた。ホテルまで10分くらいで着くところ、1時間近くかかってたっぽい。 この写真は、覚えていない。 2日 ホテルをチェックアウトして、前の日に行った喫茶店に一人で行った。アイスコーヒーを頼んだ。いいお店だ。サングラスをかけたおじさんが入ってきて、大きい声でシナロケの話をしていた。それからケントと合流して、午後のバスで広島に向かった。 広島について俺はタワレコへ直行。ラブ人間とココロオークションのインストアを見に。ラブの車で前の日の夜に一足先に広島入りしていたトモヤさんも歌ったらしい。結局タワレコにはみんないた。オーバーザドッグスはいなかったけど、次の日対バンのペロペロしてやりたいわズ。のボーカルのむかいだーちゃんもいた。初めまして。福岡から一緒のDJあるある君もいて。 それじゃ、また明日と別れた。 3日 ホテルでのんびりしてから会場へ向かった。2回目の広島。PAの方が素晴らしい方だった。あんな人がPAのラ

朝を探しに行ってくる

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わかんないけど、この先に待っている様々なことが少しでもうまくいきますようにって、めっちゃ思った。わかんないけど。 もしうまくいくことに少しでも繋がるなら、俺にできることはしたいって思った。でもきっと、できないことのほうが多いとも思った。 でも、できることもきっと多いとも思った。 福岡は、寒い。おやすみなさいな。

旅を続けてるんすか

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ヤギハツマという奴がいる。 3年前くらいかな。QBARというお店で飲んでいたときに、「新しいイベントやろうと思って。しょーたさんが始めるtabibitoキッチンで」ってヤギに言われた。シンゴさんも出てねって言ってきたから、嫌だと答えた。 なんかいいイベント名ないですかね〜なんていうから珍しく俺はそこで真剣に考えて真剣に提案してみた。そしたらヤギは、いいですね!!と言っていた。嬉しかった。 それから少ししてヤギの新しいイベントは始まった。俺は喜ばしいことにvol.2に初めて呼んでもらえた。ヤギからメールがきた。 「シンゴさん、前に話してたやつ、出てもらえないですか?」 「ありがとう、もちろん出るよ」 「じゃあ今詳細送りますね!」 「うん」 ヤギから詳細が送られてくる。 イベント名は『たび唄』。 いや、俺がQBARで提案したイベント名じゃないじゃん。お前めっちゃ乗り気だったじゃん。返せ。お前にめっちゃ真剣になった俺の時間返せ。真剣にそう思った。 気づけば2年が経っていて、たび唄は20回目になっていた。随分と久しぶりに出た。すっかり、「たび唄」というイベント名がしっくり来るイベントになっていた。ていうか多分、0回目のときからそうだったんだろうな。 ヤギとは、もう、6年くらいの仲になるだろうか。 出会った頃と、お互いやってることは少し変わってはきてるけど、いつも面倒くさく絡んでくれて、真剣に見てくれる。あいつは、本当は優しいのだ。 今年のジョインアライブのとき、一番最初にダイブしてきたのが、ヤギだった。嬉しかった。 今回のたび唄で、ヤギに「シンゴさん、まだ新しい歌つくってんのか」って思ってほしかった。5曲中、4曲新曲で臨んだ。すごく緊張したけど、一生懸命歌えた。いいライブではなかったかもしれないし、客との一体感などは皆無ではあったかと思うが、とにかく自分の歌をここで歌うってことに必死になれた。ヤギには感謝している。 あいつがやってるロックバンドもまた、優しいバンドである。優し奴がいるから。 明日から大阪、福岡、広島。 この3箇所は、もう2015年はこれが最後だ。あ 間違えた、福岡は12月6日ある。忘れてない、間違えただけじゃ。 そんなこと考える必要ないかもしれないけど、「一年」という区切りがある世の中ならばそれなりに意識すること自体は悪いことではないね。 一生懸命やろうと思

スケート

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メンバーの反応がいまいちでさ。 かわいいと思うんだけどなあ。冬が来るしスケートだし。 実物になったら、かわいいと思うんだけどなあ。 かわいいと思うんだけどなあ……。

生活の真ん中

メジャーデビューした以上、俺の生活の中心はTHE BOYS&GIRLSである。 俺の歌や人間性や色々なことを信じてくれているボスを始めとするレーベルの人たち、関わってくれている人たち、各地のキャンペーンなどに同行してくれるビクターの人、札幌の稼働など手伝ってくれる人、裏切れない。裏切りたくない。泥塗りたくない。 事務所に属してない分、自分たちで把握しなきゃいけないことや進めなきゃいけないことは日々たくさんある。 隙を見せたらすぐ崩れる。生活の中心がTHE BOYS&GIRLSじゃなくなった瞬間に、THE BOYS&GIRLSじゃなくなるし、全員を悲しませることになる。そこに言い訳は一切通じない。 バンドのこと考えない日はないけど、毎日バンドって面白いな最高だなって思ってるわけでもない。不思議だな。 ライブ楽しいっぽいバンドならやめたい。楽しそうにライブやるバンドになりたいわけではない。渾身の感情が届かないなら、次の手を考える。ひとりじゃどうすることもできないとこまで来てること、俺が一番知っている。 教科書見れば載っているのに、答えを書けない。間違いが怖いわけでもない、きっと正解な気もするのに、解答欄には何も書けず白紙のまま。そのせいで何も始まらない。 俺が崩れちゃ終わりだ。何かをするのも、何とかするのも、俺が崩れちゃ何も始まらない。 路上で歌ってるとこ動画撮られたり録音されたりするのキツイからもう路上は告知してやるのやめようかなと考え始めてる。どうしたらいいのかわからん。どうしたらいいかな〜。喋ってるとことか何かふざけてるとことかなら別に動画とってくれてもいいし面白い楽しい瞬間はとってくれて構わないし、写真とかも全然いいんだ、路上なんて。ただ、“歌ってる”とこの録音録画ってなると「ああ、伝わってないんだな」って思ってしまうようになった。何か見てたらなんとなくわかるときがある、もしかして録画か録音してる?って。ただ確信はないし、そんなことなるべく思わないようにしてる。そもそもそんなこと考えながら何で歌ってんだ俺ってなるし。信じてないわけじゃまったく無いし。今撮っていいよって思うときもあるし。ただ、アクセサリーにされるのだけは本当に嫌だ。悲しくなる。そしたら、だったらやらないのがいいかってなる。でも、もしかしたら誰もそんなことしてないかもしれない

秋の色がしてた

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  昨日、飛行機が北海道の上空に入ってからみた景色とっても綺麗だった。行くとき、絶対こんなに秋の色してなかったのに。 一週間で、すっかり秋の色。 朝晩めっきり寒くなってきて、札幌ですら4度とかになる。来週は最高気温が6度とからしい。ひい。体調崩さないように予防しっかりして、ちゃんと管理しないと。 札幌ライブが1ヶ月以上空く。次の札幌のライブ、11/22のフラカンとのツーマンだ。みんな忘れてないか不安になる。絶対かっちょいいライブするから、来てほしいのだ。札幌の人はとくに。みてほしいなあほんとに。初めてのペニーレーンだし。 いま絶好調だし。新曲もあるし。 30日大阪心斎橋パンゲア。めちゃめちゃ久しぶりのパンゲアだ。そのまま九州いって1日福岡。3日広島。 18日はスペシャ列伝で新宿LOFT。スペシャ列伝に関してはちょうど1年前、バーステージで出た以来。1年経ってスペシャ列伝でメインステージでやれる。物語は続いていたのだ。ぶち抜ける準備はバッチリでいきます。 でフラカンと札幌ツーマンして、またすぐ23日東京下北沢にて。25日下北沢ホリック。札幌帰ってきて28日セッチューフリー、LINK来札。遂に。遂にだ。 そんで12月入ったらすぐ九州。 のこり2ヶ月半で、どれくらい進めるか。ワクワクしてる、とっても。

バイバイ、ヴィシャス。

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「ロックンロールは終わらない」。 15日朝までトモヤさんと飲んでたら飛行機乗り遅れてしまったとこから始まって、3日間ライブ。16日に下北沢でビートハプニング、17日にセッチューフリーサマーフェスタ、そんで18日にディスイズアワーロックンロール。 で、昨日路上やって、終わり。 久しぶりに地方で路上できて、よかったなあと思った。 18日のライブの時、主催のDONUTの秋元さんに「ロックンロールは終わるの?」と質問をしてみた。すると秋元さんは「終わらない」と言っていた。 昨日の路上たくさん来てくれて何人いるんだろうと思って、みんなで数数えてみたら、69人だった。俺で69人だった。 ロックンロールは終わらないって、ほんとなんだなあって思った。秋元さんも来てくれてて、終わったあとに「すごいね」と笑っていた。 この関東での数日間、本当にたくさんの一人たちにいっぱい感謝した。そしてこの感謝はずっと続くし、音楽やライブになっていくと思う。 俺には プライドもある。 俺は音楽をするから、それを聴いてもらいたい、っていう気持ちそれだけである。 休み時間に徒党組まないとトイレにも行けない奴にはなりたくなかった。 ひとり必死にもがきながらも、周りのことを考えようとすることができて、誰かのことを決して嘲笑ったり貶したりしない一生懸命な奴が、俺は好きだ。 そんなバンドになりたい。 聴いてくれる人がそんな人になってくれるような、そんな人であり続けてくれるようなバンドになりたいなあって、成田空港に向かう電車の中で思っております。 あしたはどんなこと思うかなあ。 今夜はラジオ、メール待っております。