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こんな歌いらないかもしれないけど

お昼の12時に一人でライブをしてきた。5曲。 雨予報はほんの少しだけ力を貸してくれて、ザーザー降りはかろうじて免れた。ぽつり、ぽつりと、少しだけ降っていた。傘を差して聴いてくれてる人もいれば、傘を差さないで聴いてくれてる人もいた。 空は広い。どこにいても本当は、同じように広い。 高い建物の下にいれば見えるものは狭くなって、本当のことを忘れそうになったり本当のことが見えなくなったりするけど、でも最初から最後まで空はきっと広い。 今日歌ってるとき、僕の後ろには道庁のあのレンガがあって、僕の目の前には聴いてくれている人がいて、その向こうには曇り空が続いていた。どこまでも続いてた。僕の声もどこまでも突き抜けて欲しいなと思った。今この瞬間がとても愛しいな、幸せで最高だなって、そんなことを思った。 音楽を始めたこの街で、この街の空の下で、この街の雨の中を歌えるということが、心の中で燦々と輝いていた。映画の中にいるような、最後のワンシーンにいるような、そんな気持ちになった。 どこでだって歌える僕は、誰かのそばには居れなくて。 だけどお願い、せめて僕の音楽よ、どこでだって歌える僕の音楽よ。 雨の日には傘を。涙にはハンカチを。喜びには笑顔を。 そうやって誰かのそばで、お願い僕の音楽よ。

気持ちひとつ

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18日九十九祭。 18日はもう一本、モーメントフェス。 19日やついフェス。 21日ガガガSP&セッチューフリーツアーファイナル。 22日グッバイフジヤマ企画。 終わりました。 5日間の中でした5本のライブは、どれもギリギリで、どれも誇らしくて、どれも苦しくて、どれも嬉しくて、そんな感じだった。 九十九祭は、実行委員の方達が裏で必死に走り回っていた。逐一僕らのことを気にかけてくれて、逐一挨拶してくれて。雨予報だったけど、結局雨は止んでいた。「撮影禁止」という看板を爆音のスピーカーの前に立ち30分ずっと真剣に持っていてくれた実行委員の方達がいた。だから最後の最後に「みんな携帯出せ、写真撮ってくれ」って僕は叫んだ。そしたら看板持ってた子たち、「せっかくずっと持ってたのに!」と言わんばかりに看板下ろして、ようやく少しはにかんだのを見て、嬉しくなった。僕らの後にライブをしていた軽音部の方達がとっても上手でかっこよくて、対バンできて嬉しかった。ライブの後にストラックアウトをやりにグラウンドに行った。実行委員の方達が案内してくれて。僕は6枚しか抜けなくて、先にやっていた中学二年生の陸上部の子が7枚抜いてたらしく僕は負けて悔しかった。だから「お前来年も絶対来いよ、また勝負するぞ」と宣戦布告しといた。ていうか中学二年生で大学の学祭に来るってどんな度胸だよ。時間を作れず、10階に行けなかった。そういえば、出産予定日を過ぎた妊婦さんがライブ見に来てくれてて。来て良かったですと話してくれた。元気な赤ちゃん、産んでほしい。 モーメントフェスは、セルザラフブッチという札幌のバンドのイベント。これに関しては特に多くは語れず。ただただ、彼らの気持ちが勝った。僕に何ができるかな、僕はこの街に何が残せるかな、そんなことを考えた。東京に行ったさくがいた。札幌でさくを見たのは久しぶりだったもんで、僕は曲中にもかかわらずさくを前に呼んで「元気だったか?」と聞いた。そしたら、「元気!」とあいつは答えてくれた。この街は何にも変わっていない。ブッチがいる。感情は駆け回り、僕はなぜか涙が止まらなかった。 やついフェス。朝、札幌を出て東京へ。会場についてセットリスト決めて、ライブして。あんなにお客さん集まると思っていなくて嬉しかった。去年より会場が小さくなったのは悔しかったけど、でも、あの

終わりは前を向いて

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6月2日 My Hair is Badのホームランツアーという名のツアーに参加。初めての群馬県、高崎市はclub FLEEZというライブハウス。早朝に、ここ2ヶ月くらい写真やら動画を撮ってくれているフウコと連絡を取っていて、そしたら、「行ってもいいですか?撮りたいです」と言ってきた。高崎だしフウコは学生だし次の日も朝から学校だったはずで、さすがに厳しいよなと思っていて、でも彼女の熱量の勝ちだった。 僕らは朝イチの飛行機で東京へ向かい、昼に都心で集合。ラブ人間のツネさんが車を出してくれて、僕ら4人とツネさんとフウコで高崎へ向かった。 初めての関越道。僕はバンドをやっていて、仲間やライバルの力を借りながら、また憧れの高速道路を走った。窓の外は美しかった。 ライブハウスに着くと、マイヘアがリハをしていた。ともと久しぶりに話した。ircle、FOMAREとは初めまして。ircleのボーカルのカワチさんが話しかけてくれて、なんだか嬉しかった。 オープン前、ライブハウスの前にはマイヘアのTシャツを着た人がたくさん並んでた。僕らのことを知っていた人はきっと、十数人だろう。それでも声をかけてくれたりする人がいて、僕は嬉しかった。 誰にも負けたくなかった。それしか考えれていなかった。でも、始まる前に、ふと自分のやるべきことできるべきことに気づいて、勿論負けたくなかったけどその前に向き合わなきゃいけないことから目をそらさずにやらないとと思った。目の前のフロアのこと。1曲ごとに、1小節ごとに、伝わっているのがわかった。腕がどんどん上がっていく。最前のマイヘアTシャツの女の子、最初は柵に肘掛けてどれどれって見てたけど、途中からキラキラした目でこっちを見ていた。男の子たちの声が聴こえた。 フロアの真ん中あたりで、ともがこっちをずっと見ていた。バヤくんが、袖でこっちを見ていた。僕は嬉しかったんだ、何かわからないけどあの日の全部が嬉しかったんだ。 終わったあと、裏の機材置き場でぶっ倒れてるところに、ともが来た。「…くっそ。なんなんだ。シンゴさん、俺やるからねマジで。」と言ってきた。「やれるもんならやってみろ」と、僕は数々の人気バンドマンたちから絶賛の声をかけられまくってる奴にむかって、べちゃべちゃなまま笑い飛ばしてやった。 結果的に全部持ってかれたけど(笑)、僕はもういいのだ、僕にできることに

また会おう、めい。必ずだよ、じゅん。

きっと僕はこの先ずっと何年も、何年も何年も、この季節になると自分の携帯を気にするんだと思う。センター問い合わせするようなそんな気持ちで、メールを待つんだろう。 昨日5月最後の日、早朝、空が明るくなった時、一通のメールが来た。 「飛行機の中で歌うシンゴボーイの声がうちまで聞こえてきたわ」と書いてあった。 僕はよくわからなかったけど「ようやく聞こえたかあ」と返した。それから返事は来なかった。僕も別に気にもとめていなかった。 だけど僕はその夜、ふと、早朝のメールのやり取りを思い出した。思い出したというか、何か、なんていうか。なんていうんだろう、あの気持ち。わかんないけど、とにかくたった一通のやり取りで終わったメールを再開させたくて、今度は僕から再開させた。 君はどっちかというと朝っぽいし、僕はどっちかというと夜っぽいし、いいだろうってことで。 僕は、「そういえば、この街からいなくなって一年だな」と送った。 2分後、「そうだよ、明日でちょうど一年」と返事が来た。 僕は、「だからか。」と返した。 1分後、「一年経つと色々変わるね」と返事が来た。 僕は、「そっちは、どう?」と返した。 16分後、「もうすぐ、宗詩郎の脱退が発表になる」と返事が来た。 僕は、「そっか。さみしくなるね」と返した。 1分後、「別に何とも思わなかったけど考えるとやっぱりさみしい」と返事が来た。 僕は、「んだね」と返した。 僕はそう返してから、もう返事いらないよと心の中で思った、というかきっともう今夜は返ってこない気がした。そしたら、本当に返ってこなかった。ホッとした。 僕らはずっとこの街で戦っていた。そして、いつも大した話などしなかった。でも僕らはそれでよかったし、それがよかった。大切なことは互いのステージで交わしていた、かっこよく言うとそんな感じだ。そして、それはきっとこれからもそうだ。 でも、さすがに、「さみしい」なんてこと言ってきたのは初めてな気がしたから、今すぐ飛行機に乗って君のところへ飛んで、二人でマクドナルドに行きたいと心の底から思った。 僕は、もう随分前のことでいつだかわからないけど、いつかの打ち上げの時に宗詩郎と二人で話した時のことを思い出した。 あいつは酔っ払っていたのか何なのか、話の流れからか、僕に「シンゴ、俺だって悔しいさ