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こんな一年にしよう

バンドのことで言うと「卒業証書/東京」という2曲の配信リリースに向けての動きと一年の大まかな予定にワクワクしながら2018年が始まり、メンバーの3人がバンドを脱退することが決まって2018年が終わっていった。 事あるごとにイライラしては、事あるごとに言い方がキツいと言われてしまった。 優しいってなんだ、かっこいいってなんだ。答えの出ない自問自答、増える白髪と減る前髪。曲は書けなくなったけど、崩れかける自分を救ってくれた瞬間がいくつもあった。 楽器を持たずに、色んな場所で深呼吸をした。 バンドのことを考えない日はなかったけど、振り返ってみると、ちゃんと立ち止まって深呼吸する時間がはっきりとあってよかったなと思う。捨てれないものが、譲れないものが、はっきりとある。 来年は「こんな一年にしよう」というのを決めない一年にする。思い通りの一年にならないほうが、終わる時にまた始められるパワーになることを知ってる。そりゃあ夢や目標だってあるけど、それよりも、その時々で必死になって、やってくる楽しいも嬉しいも幸せも安らぎも苦しみもちゃんと逃さずに逸らさずに日々を重ねて得るもの失うもののほうが今は大切だ。 こんな一年になったから、そんな一年にしよう。 悲しい思いをさせてしまい、すまなかった。 来年はもっとよろしく。

朝靄が綺麗で

今、北海道を離れています。これから先に起こりうる出来事の可能性を探りながら、見据えながら、考えながら、毎日を過ごしています。昨日は少しお酒を飲みました、そのせいか眠る前に涙が止まらなくなってしまいました。自分でもびっくり。 頭の中では、もう6月が終わりそうです。 3月にワンマンツアー「少年少女の陽炎」があります。3月11日大阪は心斎橋BRONZE、お世話になっている場所。3月19日東京は渋谷CLUB QUATTRO、バンド史上最大収容人数、札幌在住の芋バンドがクアトロなんてと呆れられたって埋めたいのです。3月28日北海道は札幌PENNY LANE 24、二度目の正直だここで決着をつけます。この3本をもって、僕以外のメンバー3人はこのバンドをやめます。あまりにも濃い日々だった。その先は、そっちは任せた、こっちは任せてくれ。 明日25日23時59分まで、イープラスにてチケットプレオーダー受付中です。どうか逃さぬよう応募を。 さあ、その前に僕は舞台があります。 「みみばしる」という舞台で、ゴジゲンという劇団とJ-WAVEというラジオ局の合同企画公演。2月6日〜17日で下北沢本多劇場で16公演、2月23日〜24日で福岡久留米座で3公演、3月1日〜3日で大阪近鉄アート館で4公演、計23公演。こんな貴重な機会を僕に与えてくれた関係者の皆様に心から感謝します。ぜひ見に来てください、僕は、「歌、演奏」という役割で立たせていただきます。この「みみばしる」は監督が松居大悟さん、主演が本仮屋ユイカさん、音楽監督が石崎ひゅーいさんです。僕は音楽監督であるひゅーいさんの作った曲を、歌います。本番までの日々、稽古のたびに東京に飛ぶのはリスクがありすぎるので、僕は来月のどこかのタイミングから東京に住みます。真冬の北海道を1ヶ月半近く離れるのは少し寂しいですが、僕は僕に与えられた素敵な瞬間を逃さないように一生懸命生きようと思います。 それが終わって、すぐ現体制最後のワンマンツアーが始まるというわけです。正気じゃいられないと思っています。今もう既に、少しパンパンになりつつあるような気が自分でもしています。でも、きっと強くなれるような気もしているので、舞台もバンドもフル回転の全速力で取り組もうと思います。 さっき、一人でバッティングセンターに行ってきました。特に意味はない

いいことばかりじゃないけど

3人の脱退を発表してから6日目の夜です。 「ふー。」とひと息つく間もなく時間は流れ、人に会い、言葉を交わし、歌も歌った。長くも感じるし短くも感じるし、まだ6日しか経っていないのかという気持ちともう6日経ったのかという気持ち。お世話になっている方々や先輩後輩、発表前にメンバーの脱退を直接報告できなかった方には大変申し訳なく思っております。この場を借りて。すみません。 改めて、 ケントボーイズとソトムラカイトとカネコトモヤが来年3月をもってこのバンドを脱退します。そして我々はこの4人でできる最後のライブをやることにしました。2019年3月、ワンマンツアー「少年少女の陽炎」を開催します。大阪、東京、札幌の3箇所です、この3本がボイガルの次のライブでありこの4人でのラストランになります。きっと楽しいと思うし、何より、彼らはもちろんだけどこのTHE BOYS&GIRLSというバンドの次のページをめくるということも忘れずに俺はやります。ホームページから、最速の先行受付中です。応募してほしいです、ライブハウスきてほしいです。よろしくお願いします。 さて、正直に書こう。 俺はあと何回「解散ではない」といえばちゃんと伝わるのか、それがわからないのです。わからないからとにかく言い続けるしかないんだけれど、少し疲れてきました。「この4人でなければボイガルじゃない」「3人が抜けるなら実質解散みたいなもん」とか言われるのはまだわかるけど、何でこんなにも、バンドが消滅するのが先行してしまうんだろうか。難しいですね。どこにも書いていないし、どこでもそんなことは言っていないのに。この6日間はそれに思わず磨り減ってしまいそうになり、なるべく色々見たりしないようにしています。 俺はTHE BOYS&GIRLSをやります。 おととい、50回転ズのツアーで前座で弾き語りで出演させていただいた時、「やっぱバンドサウンドいいな」って思いました。心底、羨ましいなと思いました。だからワンマンが終わってもバンドサウンドで音を鳴らすことをなるべく途切れさせたくないなと思いました。しばらくの間はオリジナルメンバーで存在していたボイガルの熱が小さくなっていくまでは隠れていようなど、一ミリも思っていません。それが今の俺の気持ちです。まだ何も終わっていないのにこんなことを言うのはお

話はこのバースの頭に戻る

小学・中学といつも一緒にいたメンバーの中にひろきって奴がいました。ひろきは小学生の頃からずーっと仲良かった友達で、頭も良かったしスポーツも好きで誰からも好かれる奴で少し泣きっぽい奴でした。中3の頃、ひろきだけ違う高校に進むことがわかったとき、何かぞわぞわしたのを今も覚えてます。「俺はN高にはいかないよ、釧路行くわ」と、そう言ってました。俺は、俺たちはずっと一緒だよななんてことを、どこかで思っていたのでしょうか。さみしかったけど、みんなでひろきを応援することにしました。 オンボロの木造、白い息の出る廊下、冬はすきま風に乗って廊下にも雪が降るほどの校舎でしたが、俺たちが中3の頃に新校舎が完成して俺たちは最初の新校舎の3年生でした。卒業までもう少しだななんて外が冷たくなってきた頃、みんなよりひと足早くひろきの合否がわかりました。新しい木の匂いのする新校舎、ひろきだけ職員室に呼ばれます。俺たちは職員室の少し離れたところで、まるで可愛いあの娘を覗き見するようにあいつが出てくるのを待っていました。下を向いたひろきが職員室から一人出てきて、ぱっと天を仰ぎ「…受かったーーー」と言った瞬間に俺たちはまるで、その数年後の未来で駒大苫小牧が甲子園で初優勝した時のようにひろきを囲み腕を上げました。あの時が俺にとって、俺たちにとって、初めての仲間の別れでした。大げさだけど、少なくとも俺にとってあの瞬間がまぎれもない別れだったんです。死ぬわけじゃないのに、会えなくなるわけじゃないのに、家は同じ街にあるのに、まだ日々はあるのに、別れだったんです。 でもそんな別れこそが新しい感情に出会えた瞬間であり、きっかけであり、俺にとって今も宝物です。 体育館だけ旧校舎のままで、卒業式は旧体育館でやりました。新校舎最初の3年生だった俺たちは旧体育館最後の卒業生になり、ひろきとの休み時間も終わりました。それからの日々、当たり前のようにひろきには全然会えなくなったけれどそれで良かったんです。 それから15年近く経ちました。 去年、ENDLESS SUMMER 2017というツアーを回って北海道北見市に行った時のことです。「シンゴ」と呼ばれ振り返ると、そこに居たのはひろきでした。「ひろき何してるんだ、ひろき、こんなところで。元気だったか、ひろき。結婚したんだってな、ガキもいるんだっけか、何してるんだひろ

「SONG FALLS TOUR」札幌

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11月9日金曜日、ツアーが終わった。 話したいことは話したし、あふれた気持ちも隠さずにいれた。地元札幌でのライブが一番ヒリヒリする。落ち着いてはいたけど、東京ワンマンよりも安心はできない、そんな感じでやれたかな。 ペニーレーン、すごかったな。何もかも大きかったな。俺たちがあそこでワンマンをやるということに、俺はどれくらいの希望と絶望と過去と現在と未来を映し出すことができたかな。「24」という曲をフロアの真ん中で始めた時、すごい気持ちになって、それはまるで映画の中にいるみたいな、そんな気持ちになったんだ。 アンコールなし、本編21曲、公演時間2時間15分。 俺は届いてほしかっただけなんだ。涙でもいいし、笑ったり痛かったり寂しくなったり、拳でもいいしだいぶでも。あなたに届いたなら、そのあとは好きにしてほしかったんだ。だからフロアにいろんな人がいて、それぞれの今が絡まりまくってるのが見えた時、嬉しくて嬉しくて仕方なかったんだ。 渋谷の日、最後に京くんがダイブした。京くんは、俺がボイガルをやる前にやっていたバンドで出会った人で、今思うと初めてできた兄貴みたいな人の一人が京くんだなって思う。京くんがあの日会場にいたの、最後の最後まで俺は気づかなくて、びっくりしちゃった。ちなみに俺はボイガルをやる前にtheパン工場という名前のバンドをカイトとやってて、京くんはリンダリンダラバーソールというバンドをやってて。パン工場とリンラバが初めて対バンした日に、京くんは俺たちの曲でいきなりダイブしたんだ。会ったことも話したことも知ってる曲もお互い一切なかったあの日に、京くんは俺たちの曲でダイブしていた。俺の初めてのダイバーだ。 あの渋谷の日は、そんなこと思い出した。 で、ファイナル札幌ペニーレーンの日、2曲目でこの日最初のダイバーが出た。革ジャンを着た髪の長いやつで、りゅーだった。りゅーは、俺の親友だ。バンドをやっていたけど、やらなくなって、1年以上姿を消していた。何度連絡しても返ってこなかった。悲しいかな、京くんとは少し遊んだりしていたらしいけど。それもまた不思議だな。とにかく俺はりゅーと連絡すら取ることができなかった。りゅーは、俺に会わせる顔がないと思っていたらしい。あいつらしいなとも思う。最近復活して、この前、800年ぶりくらいに二人で飲みに行った。楽しかったな。

「SONG FALLS TOUR」渋谷

自分たちしかでないイベントなら尚更、俺はソールドアウトがいい。札幌に住んでるからこそ東京ワンマン尚更ソールドアウトがいい。そればっか言うのはかっこ悪いかもしれないが、ソールドアウトして「ダサいな」っていう人はいないよなとも思っている。思っていた。前の日はなかなか眠れなくて、やけに寂しかった。 朝起きて準備をして、一人で会場に向かった。ドアを開けると、「THE BOYS&GIRLS」と書かれた大きなバックドロップが掲げられてて、鳥肌たった。初めてのバックドロップ、最高な気分だ。「来てくれる人、わあってなってくれるかな」、そんなことを考えた。 リハーサル中にドアが開いて、一人の男がフラフラっと入って来た。 しっぱいまんだった。 JET THUNDERSというバンドのボーカル。俺がバンドを始めたきっかけの一つになった人で、俺が初めて街中で人に声をかけたのもしっぱいまんだった。曲を止めて、「しっぱいまん!」と言うと、「やあ」と言う。「やめなくていいよ、続けていいよ」というので、リハーサルを普通に再開した。しっぱいまんはフロアの後ろで、たまに移動しながら、聴いてくれていた。少し経ってしっぱいまんはフラフラっとドアを開けて出て行って、結局そのまま戻ってこなかった。ボブディランみたいで、かっこよかったな。 あっという間に開場して、始まる直前に楽屋にハルカミライのマナブが来た。特に何をするでもなく、「んじゃ頑張ってください」と言って消えてった。ボブディランみたいだな。 ステージに出ると、たくさんの人が迎えてくれた。ソールドアウトはしなかったけれど、たくさんの人が迎えてくれたんだ。今日は頑張れそうだ、そんな気がしていた。穏やかに優しく、ちゃんと冷たく歌おう。そんな風に思っていた。騒げばいいってもんじゃない。モヨコの森くんが教えてくれた。今日の俺でステージに立つということ、それを受け入れてもらえるかどうかってことを恐れることなく歌えなきゃ意味はない。 友達も来てくれた。話せた友達も、話せなかった友達も、俺にとっては大切な友達。 喋り過ぎてしまった。もっとスマートにやれたらいいのになって、ずっと思っている。「こういうことを話そう」と決めたところでどうせ話せない。その時になってみないとわからない。めんどくさい男である。もしいつの日か

「SONG FALLS TOUR」名寄

そしてここにも、言葉にできない瞬間がいくつもあった。 トモヤさんは実家が北海道下川町というところで、名寄の隣町。高校は名寄の高校に通っていたらしくて、名寄はいわゆる青春の街らしい。ちなみに「なよろ」と読む。 メンバーの中で唯一トモヤさんだけ、まだ故郷にライブで行けてなかった。今回のこのツアーを回るにあたり、トモヤさんも行きたがっていたから「よし行こう」となって、名寄公演を決めた。もちろん初めてのライブだ。 こういう日は、絶対に何かが起こるってことわかってる。特別なことじゃなく、大切なことが。道連れに決まったのは札幌のFavoritesとDOUBLE SIZE BEDROOMの2組。本当にこの3組でこの日を過ごせたことが何より美しかったように思う。 リハーサルを終えて、少し一人で周辺を散歩してみた。人はまばらで、空が綺麗で、かわいいお店が多くて、どこまでも歩けそうだった。 BLUE BEAT SOUNDに戻り、程なくして開場するとぞろぞろとお客さんが来て、正直ガラガラを予想していたもんだったから嬉しかったな。ちゃんと届いているんだなって。フェイバリッツもダブサイも刹那だった、よかった。俺たちもきっと、ぴったりなライブできたと思う。 男の子たちが、いい顔していた。終演後に話しかけてくれた男二人組、14歳です!と言っていた。「勉強に部活に恋に、頑張りなよ」と偉そうに吹かすと、「はい!」と元気よく答えてくれた。いつでもどんな時でもスイッチを入れろよ。 この日、BLUE BEAT SOUNDの動員記録がこれまでで一番だったらしい。光栄です。どんどん塗り替えられて、いつかまた塗り替えに行きたいな。 SONG FALLS TOURは、対バン形式での公演をここで終えた。 出演してくれた対バンたちに心から感謝します。

「SONG FALLS TOUR」八王子

ハルカミライと八王子でツーマンを、うちの冠でやりたかった。正直それだけだった。思い返せば去年の夏に「拝啓、エンドレス様」というアルバムを出してからの1年3ヶ月くらいの間で一番対バンしたのがハルカミライで、今回の「ソングフォールズ」というシングルにもハルカミライとの日々がわずかに影響している。ま、わずかにだけど。 下北沢を14時半くらいに出て、機材車でみんなで八王子に向かった。流れる景色にどこか懐かしさを感じたけど、気のせいだろう。車の中で曲順を考える。考えるんだけど、考えれない。ノートがぐしゃぐしゃになっていく。結局会場に到着する数分前に大方の方向性を決めた。RIPSに到着すると、パーマをかけてかっこよくなったこまっちゃんがいて、すぐにマナブと俊とダイチも現れた。ここが噂の、ヨーロービルか。 始まる前に、「ここソールドってことは、結構暑くなりますよ」とハルカミライのメンバーが口を揃えて言っていた。 ハルカミライのライブをステージ袖で見た。さすが、だなあと思った。地元、ここで育ってるんだもんな。フロアにいる全員がハルカミライのようで、美しかった。そしてどんどん暑くなっていって、袖で見ているだけで汗が垂れてくる。前半見て楽屋に戻り、とりあえず一回ドライヤーで髪を乾かした。俺はライブ見てただけなのにな。 びしゃびしゃのハルカミライが帰ってきた。「こりゃやばいっす」と俊がいう。転換、ステージに上がるとすでに空気は薄くて、こりゃやばいと思った。準備しているだけで汗がダラダラ出てくる。まだ何もしてないよ。準備が終わり一度ステージを降りて、惑わされることなく今日の自分たちのやり方でやろうと意気込む。 入場SEが鳴り、ステージに上がる。そこからのことは、あまり覚えていない。 どんどん遠くなっていく意識の中、ありがとうが聴こえる。 歌わなきゃ。声を出さなきゃ。そう思い息を吸うたびに、力がうまく入らないのが自分でもわかった。歌えてるのか届いているのかも正直わからない。だけど、ロックバンドやってるのだけははっきりとわかった。「すごい時間を今、俺たち過ごしてるな」って、そう思えた。涙が止まらなかった。悲しくもないし悔しくもないはずなのに、崩れ落ちたままマイクを握って袖に目をやるとあいつらの足元が見えて、涙が止まらなかった。そして最後にようやく、今日もお客さんに救われ

全然やってください(10/13.19.20.21)

10/13 CLUB CITTA'川崎 SET YOU FREE SUMMER FESTA 2108がありました。このイベントに関しては特にもう言うことはありません。毎年きっとこの時期にブログ書いてる気がするので物好きな人は遡って見てみてください、書いてなかったらすいません。今教えてくれないなら知らんって人は見なくていいです。僕は冷たい人。 僕はね、公立高校です、ずっと。どんなになっても、どんなにならなくても、公立高校のマインドです。だから、私立になんて思われようが知ったこっちゃないんです。これは別に、「アンチ私立」とかそういうことが言いたいわけじゃなくてね。あくまでも自分のマインドのもっていき方として、公立のマインドってこと。めんどくさい男だな。兎に角、この日は渾身の公立マインドで会場入りしたわけです。ここ最近はセッチューフリーに出演できていなかったけど、この日トリだったし。これまでの短いバンド人生において、出演順、というか「トリ」を意識しているのは、このセッチューフリーサマーフェスタだけなんです。それはきっと、バンドなんかやるもっと前、僕が中学生の頃に遡るんだけど、うーんめんどくさいから割愛。兎に角、セッチューフリーというものは僕にとってはそういうものです。僕はあまりにも器が小さいので、あからさまな大団円は生み出せなかったかもしれないけれど、僕らのやり方はあれしかなかったということです。 いつも、セッチューフリーは、1組目の前に必ず流れる曲があります。「セッチューフリー〜〜」というサビの曲。セッチューフリーの首謀者千葉さんに聞きましたよさすがに。「あれ、誰の歌?」って。「3 snottiesだよ」と彼は答えます。へーそうなんだと僕は言います。それを知ってからどれくらいの月日が流れたかなんて思い返したくもないですが、なんか前日になって急に、「あの歌やりたいな」って思いました。そしてメンバーに相談して、もしも万が一アンコールがあったらあの歌やろうって。ぶつ切りのYouTubeを3つくらい送って各自コピーしてもらって。当日アンコールがあってぶっつけ本番。楽しかったな。 勝手にやるのはなんか違ったから、3 snottiesのメンバーのモンタックさんのインスタを探し出し、DMして。初めまして、曲やっていいですか?って。そしたら本番一時間前くらいに「全然やっ

「SONG FALLS TOUR」旭川

はじめてライブハウスに行った日のことが俺には強烈すぎて、今も頭からずっと離れない。ブログだったり色んなところでこの話はしてるから省略するけど、悪く言えばある種のトラウマだし、よく言えば最高の一瞬だった。 1年ぶりの旭川、世話になってるカジノドライブ。PAのブンさん、照明のミクちゃん、リハからバッチリかましてくれてる。今日だけのライブをする、その気持ちだけはいつも思っている。前日に引き続き、-KARMA-とズーカラデルと。そしてオープニングアクトにThe Big Mouth。ビッグマウスは、HPに「出演させていただけませんか」と熱く丁寧なメールをくれて、出演してもらうことになった。そして彼らは20分という短い時間で、めちゃくちゃ最高なライブをしてくれた。本当に出会えてよかった。 そして、カルマとズーカラデルもナイスライブをしていた。当たり前だ。 俺はこの日ライブを始める前に「今日が初めてのライブハウスの人はいるか?」と聞いた。「はい」と小さな声で手を挙げた人がいたので前の方に来てもらった。名前を聞くと「タカハシです」と教えてくれた。会場の150人が俺とタカハシに注目している。タカハシは、ボイガルのロンTを着ていた。初めてのライブハウス、初めてのボイガルのライブ、まさかこんなことになるとは思ってもいなかったはずだ。俺もだ。俺も「俺なにやってんだろう」って思っていた。馬鹿。 そんな俺は、タカハシにある指令を出した。それに戸惑うタカハシ。無理もない、正解がわからないから。そして誰も正解がわからない。俺もわからない。ていうか正解はない。それが怖い。これからどうなっちゃうんだろう、そんな感じ。これからどうなるかわからないなってことだけが、わかってることだったな、あの瞬間。 それでもタカハシは、勇気を出して、本当に勇気を出して、その指令に飛び込んで見せてくれた。タカハシを合図にボイガルの1音目が爆音で響き渡る。今日だけのライブ、今日だけの物語、ビッグマウスとの出会いがそうさせたように思う。 ライブの見方なんて、どうだっていい。いつも言っているけど、手がパーでもグーでもチョキでもいい。歌えても歌えなくてもいい。泣いても笑ってもいい。大事なことがちゃんとあるんだったらかっこよくてもかっこ悪くてもブサイクでもいい。昔から知っている人、最近知ってくれた人、どっちが偉い

「SONG FALLS TOUR」釧路

生まれてから今までの思い出を掘り返せば、きっと積み上げられたCDよりも高いものになるような気がする。それくらい、釧路という街は俺にとって近く、そして遠い場所です。ばあちゃんも、じいちゃんも、死んじまった。天国まで届けれるようなCDのツアー、空の上でばあちゃんとじいちゃんが恥ずかしくならないライブをしようと個人的に意気込んでいた。 共演は北海道の2組、-KARMA-とズーカラデル。どちらも釧路でのライブは初めてだったらしい。出演してくれたこと本当に嬉しく思う。カルマは現役高校生、釧路までの長距離と翌日は旭川ってことでうちの車に乗せて朝、1台で釧路へ向かった。途中で、ズーカラデルのベース鷲見に電話をした。その直後、ズーカラデルのボーカルノブから電話がきた。いい感じである。釧路について、カルマと一緒に泉屋本店へ行き、スパカツを胃に放り投げる。釧路にいる、そう強く感じたな。 1年ぶりの釧路、広いナバナスタジオ。始まる頃には日が落ちてきて、オレンジの灯りが水面に零れはじめていた。あくびをして涙をためて、ゆらゆらとぼんやりさせて、俺たちはああでもないこうでもないと歌い合い、愛でもない恋でもないと握手を交わす。 決してパンパンにならないフロアには、必死の思いでここに来てくれた方達の命がひとりでに踊る。それが全てだ、来てくれてありがとう。ポスター貼りに協力してくれた方達の顔がよぎる。俺にできることは、これっぽっち。 口ずさんでくれている人がいる。後ろで拳を上げている人がいる。最前列でグッと唇噛み締めている人がいる。ゲラゲラ笑っている人がいる。ソングフォールズが確かにこの街にもあったのかと思うと心がぎゅっとなった。 一話完結、釧路だけのライブ。終演後声をかけてくれた男の子は、「芦野に住んでてよかったです」と笑ってくれた。いいこと教えてやろうか、芦野には、ゆきおばちゃんが住んでるんだよ。 ライブが終わると、右膝からスネにかけて激痛が走っていた。どうやら最後にガシャーンってなった時らしい。カイトが「すごい落ち方してたよ」と教えてくれた。まあ、いいんだよ、どうってことない。と言いつつずっと痛くて、本当に痛くて、ちょっと本当にやばいかもって思った。だけど帰りにナバナのみなさんがでっかい氷用意してくれて、「これで車の中で冷やして帰って!」と渡してくれた。優し

インストアの3デイズ

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9月5日にニューシングル「ソングフォールズ」が発売した。たった4曲だけど、目に見えないものがたくさん詰まってしまったことによって、これは誰かの何かにきっとなるんじゃないだろうかって心底思えた作品。届いてほしいなと思えた作品。 北海道に帰ってきて間髪入れずにインストアイベントが3日間続いた。 28日、札幌音楽処 この日はこちらの都合で、俺とトモヤさんの二人体制での公演。「札幌に音楽処あり」ってほど、おんどこは俺たちにとって大切な場所。お店なんだけど、お店っていうより「大切な場所」って感じなんだよな。前のバンドをやっていた時も、自分たちで作ったCDを持って行って、置いてください!って頼んだりして。その度に店長の石川さんが「はい、頑張りなさいよ!私たちも頑張るからね!」って檄を飛ばしてくれて。ボイガルになってからもいつも応援してくれている。そんなおんどこで、トモヤさんと二人でライブ。 トモヤさんと出会って10年が経って幾度となく二人でふざけたりしてきたけど、一本のライブを最初から最後まで二人でやるっていうのが実は今までなくて、ワクワクと緊張。でも俺とトモヤさんが組めば、どこにも負けるわけがないのでね、はっはっは。軽く打ち合わせをして、あとはもう本番の阿吽の呼吸でよろしくやりましょうってな具合で、大爆発。今でも思い出し笑いするほど出会った中で一番くらい心に残り続けるトモヤさんだったし、二人でライブするのこんな楽しいのかって思ったくらいライブも最高だった気がする。結果的にソングフォールズから2曲、即興2曲、トモヤさんの曲2曲というとんでもないセットリストだったけど、俺とトモヤさんなのでね。あれがあの日のソングフォールズだもんね。音楽処、いつもありがとうございます。 29日、函館蔦屋書店 朝、車を借りてメンバー拾って久しぶりの函館へ。今回のツアーで函館にいくことができなくて、でも函館蔦屋さんがいつも何かあれば展開広げてくれたりで感謝してもしきれずで、インストアでよければお邪魔させてくださいとなり、是非きてくださいと言っていただけて。嬉しかったなあ。ただ、函館も数回しか行ってないし、そもそも一年以上空いてしまっている。忘れてしまった人もいるだろうなって思ってたし、でも、知ってくれた人もいるだろうなとも思ってた。スタート時間にステージに行くと出していた椅子は埋ま

「SONG FALLS TOUR」広島

22日 福岡から広島までの道、流れる景色もだいぶ見慣れたもんで地図と照らし合わせながら窓の外を見ながら向かった。車でも飛行機でも電車でも新幹線でも基本的に寝ることができないので、夜は夜の良さもあるけど日中の移動の方が好きだな。 会場のBACK BEATの横で、一人の男の子が声をかけてくれた。「シンゴさん、俺、武田の卒業生で、2月末にきてくれた時に体育館にいました。あの時ボイガルを知って好きになって、今は大学でギター弾いてます。今日楽しみにしています」と話してくれた。 武田とは、広島県の武田高校のことで、俺たちの「卒業証書」という曲のミュージックビデオの舞台になった学校。あの日がきっかけになってこうやってライブハウスでまた会えたりするってことが俺は心底うれしかった。 BAN'S ENCOUNTERとベランパレードが共演してくれた。多くは語りたくない。認めよう、フロアの3列目から、後ろから、ステージの袖から見た彼らのライブに嫉妬してしまったんだな。だからなるべく視野を狭めて、足元とか手元とか見るようにしたんだ。やだやだ、情けない。何度思ったかわからないもんな、「いいなあ、お前は」って。ただ、そんな風に思える人がツアーに出てくれて共演できてやっぱりそうやって思えて、そこでまた自分を外から見れるきっかけになったということは幸せなことであり、大切なことだ。感謝している。ステージに立つまで色々なことを考えたし、考えさせられた。何のためにここに来たかとか。何を伝えるべきかとか。どんな気持ちでここにいるかとか。どんな人がいるかとか。どうやったらかっこいいかとか。本来考えなくていいようなことまでこの日はずっと考えていたし、考えざるをえなかった。結果的にとっちらかったままステージにたったけど、それ自体は特に問題ではなかったな。周りからのイメージ、求められてるもの、バンズとベランの流れ、何となくわかるんだけどそういうものに応えれる力量があの日の俺にはなかっただけだ。だから、そのままの俺でステージに立つことで、あの日は完成すると思った。2014年11月に「歩く日々ソング」という曲のシングルでタワレコ限定ではあるけど初めて全国流通というものを体験した。それもあって広島にもこれるようになったから、歩く日々ソングは絶対にやりたかった。なんか色々あったな、歌いながら

「SONG FALLS TOUR」福岡

6月にircleのツアーできて以来、3ヶ月ぶりの福岡。この街を知って、もうすぐ4年になる。会場のQueblickに到着して、機材を下ろして、前日の汗まみれのジーパンを綺麗にするためいつものコインランドリーへぷらぷらと歩く。気持ちのいい気温と、ちょうどいい空。コインランドリーの前、タバコを吸わない俺は、灰皿の横に置いてある椅子に座ってカルピスを飲んだ。合う合わないじゃなくて、どうしたいかなのだ。 この日は、宮崎のベランパレードと、福岡のIRIKOと。 ベランパレードは出会って5年くらい経つが、この5年はあまりにも濃かった。いくつ街を渡っただろうか俺たちは。何度も朝まで飲んで、何度もすぐ帰って、何度も歌いあって、何度も立ち止まって、何度も肩を組んだ。友達だ。まぎれもない友達だ。「馴れ合いはなんとかかんとか」と飛び交う畑にいるわけだけど、そんなの知ったこっちゃない、ベランパレードは俺の大切な友達だ。何度もライブをしたけれど、こっちから声をかけたのは初めてだ。昨年3月、お互いの街で2マンをした時は完全に同じ気持ちでの合同企画だったから。そんなもんである。友達とはそんなもんである。友達は、去り際が肝心なのだ。この日のベランパレードは、あくまでも俺個人の感想だけど今まで見た中で一番良かった。でも、トモヤさんも直後にめちゃめちゃ良かったと言っていたから、良かったんだと思う。コータがkenだったのが一番最高だった。 IRIKOは出会って4ヶ月経っていない。ほやほや。5月の渋谷で対バンして、グワングワンにされたのが始まり。本当にグワングワンした。今回ソングフォールズツアーをするにあたり共演バンドさんを考えていく中で、もちろんストーリーや気持ちが根っこにないと意味がないってのは最低条件で、かと言ってただ仲良しやただ合いそうとかという気持ちは排除して、というなんとも絶妙なところでやりたくてオファーするのも時間がかかってしまった。IRIKOは、渋谷でやった後にどうしても忘れられなくて、すぐにもう一度やってグワングワンした正体を突き止めたかった。忙しいスケジュールの中、出演を決めてくれたことが本当に嬉しかったし、ワクワクした。メンバーさんの名前もわからないし、5月の時も俺はほとんど喋ったりしていない。だけど、それがどうした、今のボイガルでもう一度IRIKOと交わりたかった、場所は福

「SONG FALLS TOUR」大阪

前日、てっぺんをこえる直前くらいに名古屋を出発して大阪に向けて車は走っていた。午前3時くらいに大阪についてすぐコンビニに寄った。少しジメジメしていたように思う。そしてそれぞれ買い物をして車に戻ろうと外に出ると、雨がポツポツと降ってきていた。あ、そうだった、大阪は雨が降るんだった。そう言わんばかりに、ここ最近は大阪に来るたびに雨が降る。 9月20日。この日も漏れることなく大切だった。BUGY CRAXONEと、鈴木実貴子ズと共演。会場の心斎橋パンゲアに着くと、一瞬早くブージーが到着していて機材を搬入していた。俺たちもすぐに搬入して、リハーサル前に空いた時間で楽器屋とコンビニへ。角を曲がると実貴子ズの二人が道に迷っていてパンゲアまで案内した。実貴子ズとは、個人的には4月の鑪ら場ぶりの再会だった。 感情って尊いな。 まだ40歳のブージーゆきさんと、俺と同い年の実貴子ズのみっちゃん。この二人と歌い合えたことは俺にとってどんなものなのか、上手い言葉は見つからないが、尊いことは確かだ。「曲をやりたい。私は曲をやりたい。」というみっちゃんの言葉が、ぶっ刺さった。 俺も、こぼさないようにライブができた気がする。 みっちゃんが帰り際、ねえ、ねえ、と言って1枚のCDをくれた。俺は、ありがとうと言って受けとった。みっちゃんといさみさんは、最後笑って帰って行った。ブージーと打ち上げ。みんな子供みたいで、でもやっぱ寛大で、こんな風に歳を取れたらなって思った。 止んでいた雨が、また少し降り始めていた。 宿について気づいたら眠っていた。 どんな夢を見たかも、覚えていない。

「SONG FALLS TOUR」名古屋

ちくしょう!すぐ残そうと思っていたのに、日が空いてしまった。 14日の仙台が終わり、16日もなんやかんやあり、17日は渋谷でライブ、18日はインタビューとラジオ、そして19日が名古屋R.A.Dでソングフォールズツアーだった。午前中に機材車が出発し、幾つかの街を越えて名古屋に入った。 名古屋の空は相も変わらず、愛は図らず、無数の飛行機雲が伸びていてため息が出た。変わってないね。 WiennersとBUGY CRAXONEという2組と。 どちらも大先輩であり、その背中は大きすぎるものでした。R.A.Dの楽屋までの外の階段を上ったところに小さな椅子と小さなテーブルがあって、始まる前にそこに座ってだんだんと暮れていく空をぼーっと見ていた。するとブージーのゆきさんがてくてく階段を上がってきて、もう一つの椅子に座った。そこでゆきさんは「唐揚げってすごいちょうどいいよね」という話をしてくれて、ケタケタ笑っていた。緊張していた俺はそれだけですっと軽くなったし、単純だなあと自分でも思った。ゆきさんはそんなつもりはなかったかもしれないけど、先輩の優しさみたいなものを勝手に感じた。 Wiennersもブージーも爆発していた。俺たちは確かに、この2組を名古屋に呼んだんだ。 久しぶりの名古屋、俺は一番最初に「いつかこの街でワンマンをやりたい」と言って、ライブをスタートさせた。それからのことはあまり覚えていないけど、最後にフロアの後方にいたWiennersのごろーさんにグータッチしに行ッタト機に笑顔で拳を出してくれたのは覚えている。そして今までで一番と言っていいくらい、フロアからの歌声がすごかった。最初から最後まで一緒に歌ってくれとは言わないけど、歌えるしここなら一緒に歌っても良さそうみたいなポイントがあるなら歌ってくれて構わない。そのポイントがこの日の名古屋は炸裂していた気がする。かっこいいぞってすごく思った。ただ、ケントボーイズのソロの時に掴みかかったお兄ちゃんがいてあれはさすがにムカついたから注意した。きっと、彼も高ぶって勢い余ってしまったところもあっただろうけど、後ろから見る限り掴んでいたように見えたし結果的にそのあとあいつは転んでしまって中々演奏に復帰できなかったから、曲が終わった後に「俺の大事なメンバーだ、気をつけてくれ」と静まり返った会場で話した。彼はめちゃめち

「SONG FALLS TOUR」仙台

9月がもう2週間経っていることに驚いている。早いのか遅いのか最早わからないけど、「9月が2週間経っている」という事実にただ驚いている感じ。ということで、SONG FALLS TOURが始まった。 メンバーは朝一の便で札幌から仙台へ、俺はマネージャーの辻と二人で機材車で東京から仙台へ。久しぶりの東北道、仙台に着くまで色々な話をしたけど、「ベランダでダンス大会」と「六本木のドラえもん」いう話がとてもよかったな。バンドには全く関係ない話だけど、すごく笑わせてもらった。途中サービスエリアで買った焼きおにぎりが熱かった。 会場に着くとスタッフの皆さんが迎えてくれて、程なくしてメンバーがきた。やけに久しぶりに会う気がするのは気のせいなのかなんなのか、それぞれきっと心も身体もドタバタしていただろうけど、いつもの感じでおはよ〜と交わし、いつもの感じでライブハウスでの一日が始まった。いつも通りだ。 ソングフォールズというシングルを、届けたい。街を重ねたい。ぐちゃぐちゃでも、どしゃめしゃでも、一瞬を逃したくない。改めてそんな気持ちが強い。初日でもファイナル、出演してくれたThe Floorとircleに心から感謝する。踊る心の影で、もがきながら戦っているハヤトが見えた気がして嬉しかった。あれから聴くたび毎回泣いていたircleのあの曲、河内さんが優しくて昨日は泣かずに聴けた。 1年ぶりの仙台、忘れてしまった人もいるかもしれないけど、忘れずにいてくれた人もいて、知ってくれた人もいた。涙を流している人もいれば、隣でゲラゲラ笑っている人もいた。そのどれもが美しくて、そのどれもが最低で、そのどれもが最高だった。この瞬間は誰にも邪魔させないぞ、みんなと俺じゃなく、あなたと俺。仙台選んで本当によかったです。あ、そうだ、フライングサンのみなさんには結局怒られなかった、よかった。ほっ。 笑ってくれた、よかった。 次はいつになるだろうか。 県外から来たと伝えてくれた人、いしがきに今年は来ないのが寂しいと伝えてくれた人、明日就職試験と教えてくれた人、バスケの試合頑張ると宣言してくれた小学生のお兄ちゃん、親友のフック、勃発のケッタ、また会えるだろうか。こんな音楽でもいいのなら、俺でいいのなら、いくらでも幕をあげるよ。 朝方、東京に着いた。 電車も動いてなかったし、もうヘトヘトだし、とり

あれもこれも残せていない

たとえいつの日か「忘れたいな」って思ったとしても、一生忘れられないであろう日々を過ごしているような気がする。9月が、ぐちゃぐちゃになっている。自分が今どこにいて、何をすべきか、わかっていてもわからなくさせられる。鏡に映ってるのは確かに自分だけど僕は君なような気もする。君は元気にしているだろうか。小さな街の小さなお祭り、そういうのでいいから穏やかな気持ちでゆっくり歩けるような時間を掬えたら教えてくれよ。 ソングフォールズ。 初めてだよ、こんな気持ちは。届けたいのか贈りたいのか、聴いてもらいたいのか見てもらいたいのか、笑ってもらいたいのか泣いてもらいたいのか、そのどれでもない気もするし、そのどれかな気もするし。たった15分で永遠を約束しようとするなんて野暮だけど、3センチ先なら照らせるような気がしていて、あまり考えすぎないように辺りを見渡すことにする。 あれもこれも残せていない。 続かない夜が落ち着かない。 繋げない手が離れない。 歌うこと諦めない。 恍惚、僕らの日々は、君のためにあるのだ。

ろくでもないブルース

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(撮影:はな) 結局携帯も変えれなかったし、インターネットをつなげる申し込みもしなかった。そして、今月は一曲も書けなかった。たったの一曲も。こんなことがあっていいものか。ダメに決まってる。情けない。でも、何度も何度もギターを抱いてノートとペンを目の前にしてみても、最後までたどり着くことはなかった。そのたびに悲しくなって、もうこのまま一生曲なんて書けないんじゃないかと思った。「曲の作り方を忘れてしまいそう」と相談すると「そんなもん最初からないぞ」と言われて、あ、そっかって思って部屋で少し泣いた日もあった。深呼吸を浅めにしてみると、その矛盾に少し救われた。ステージに立てばどこまでもいける。きっと、みんなわかってくれる。 曲は書けなかったけど、「Radiotalk」と言うアプリを見つけたから、趣味程度に一人でラジオを始めてみた。『あいつの声がする』と言う番組で、これから少しずつ時間を見つけて配信していこうと思う。アプリの性能上、1枠12分という絶妙なタイム感。携帯で聴きながら他の操作もできるし、こちらが消さなければ配信したやつは残っていく。俺は俺のやり方で、俺のやりたいことを形にしていこうと思う。興味のある方はぜひ聴いてください。もちろん、メンバー4人でやってる「ボロドンバーン」もある。FM NORTH WAVEで毎週水曜夜9時から。たくさん曲もかかるし、ライブの話とかを直接届けれる。ライブハウスでは見せることができない一面を声だけではあるけど届けれる。ぜひ聴いてください。この前は俺が出れなくて3人での生放送だったけど、みんなたくさん喋っていてよかった。俺がいると結局俺がたくさん喋ってしまうからみんなが話す隙がないんだなと反省、と同時に3人の普段の感じが垣間見えて嬉しかった。いつも何かあれば3人は喫煙所に行く。きっとこんな感じなんだろうなと思った。 Rock isというwebマガジンで、月一の連載をさせていただいている。毎月、最後の水曜日22時に更新される。内容は、10曲のプレイリストを紹介するもので、月と月をまたぐ直前で更新される。その一ヶ月の自分の中にあったものと、いつかのその一ヶ月にあったものと、直に来る次の月を迎える準備で、10曲を決めている。「ワタナベシンゴの10を持て」という連載名。どこかで誰かがこの10を持って、悲しいピストルなんかに負けない

ムロフェスとFSR

7月21日 東京はお台場にて、野外フェス「MURO FESTIVAL 2018」に初めての出演。灼熱、それはあまりにも灼熱でした。36度を超えているであろう気温、そして嘘のような快晴。札幌は20度くらいだったのに。さすがに一気に15度近く気温が上がっている直射日光の真下は、やられた。だがしかし、条件は皆一緒、全て味方にできる自信があった。 自分たちの出番が来るまで会場をウロウロしながら、数組ライブを見る。野外てやっぱ不思議な力があるなあと思った。普段なら、あのバンドはこうだったなとかこういう気持ちで今日はやるかなとか色々考えるわけだけど、この日は「これ絶対空綺麗になるやつだな」とか「電車走ってるのかっこいいな」とかばっか考えれて、それが確実に良かった。自分が今いる場所を決して見失わないように、決してないがしろにしないように、なるべく誰も傷つけないように、なるべく誰よりも冷たく歌えるように、そんな風に25分を過ごせた気がする。多分、かっこ良かった。 この日はハルカミライとShout it Outくらいしか話せる友達がいなかったけど、彼らは彼らで友達が多かったので、俺たちはほぼ機材車で過ごした。機材車は涼しかったな。 今回、PA(音響さん)をリンくんに頼んだ。俺の新しい友達、仲間だ。リンくんは下北沢近松で普段PAしてるんだけど、俺たちがボンサイレコーズのバンドになって東京行けば近松に遊びに行くようになって、そしてもちろん近松でライブもして、出会った仲間。今のチームになって、初めての東京での野外フェス。リンくんを連れて行くことにした。リンくんは、言葉数が少ない。そもそもそんなに話したことがなかった。でも、なんか、一緒に戦っていけるメンバーなんじゃないかなって漠然と思っていた。7月6日にShout it Outと近松でツーマンをした時、終わって俺が帰る時にわざわざ上まで見送ってくれて「ムロフェス、お願いします。今日めっちゃ良かったです、俺もやりやすかったし。お互い成長してるんすかね。」なんて笑って話してくれた。それが嬉しくて、「ムロフェス優勝しようね」って言って別れて、ムロフェス当日に俺たちは再会した。 ムロフェスでのライブが終わった後、機材車で二人で長いこと喋った。ライブや、音の、いろんなことを。今までこういうのあまりなかったから、なんか所謂ツアーバンドみたい

モリシマとの日

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7/16苫小牧 八戸出身、東京在住、モリシマ。モリシマは、俺の大切な友達だ。そんなモリシマ主催のイベントに出演した。大切な友達のイベントだから出演した。ただそれだけだ、なんか文句あっか。イベント名は「OUT OF OUR SHELLS -WE UNITE-」。長いし、微妙に読み方が難しい。いや、難しくはないんだけど、なんか、シェル…シェルズ?ス?みたいな気持ちになる。ユニッ…いや、ユナイトか…みたいな気持ちになる。長いし何か微妙に難しいので、以下「殻破り」と表記します。 今回の殻破り、八戸と苫小牧の2日間の開催だった。7/14八戸&7/15苫小牧。7/15苫小牧に出たバンドのうち、我々以外の4組は八戸も出演していたようだった。モリシマの、初北海道企画。八戸出身&在住バンドたちは初北海道。苫小牧のBANGLANG。うむ。気持ちが溢れていたなあ。 今更言ってもどうにもならないが、もっともっと俺にできることがあったように思う。久しぶりに、後悔をしている。後悔というか、何というか。この気持ちは何だろうな。 ブレスト以外の3組は14日の八戸が終わってすぐフェリーに乗り込んで翌朝苫小牧についていた。ブレストは確か15日もライブがあって、学祭だったっけな、それが終わって15日の夜にフェリーに乗り込んで16日の朝に苫小牧についていた。 そして16日、苫小牧でライブして、その日の最終のフェリーで全員が八戸に帰って行った。ブレストは高校生で、17日の朝から球技大会があったらしい。0泊3日の初北海道ライブだ。 どんな気持ちだったんだろう。向こうから来たブレストも、ウィズアスも、オニビリも。いい夜だっただろうか。今も忘れていないだろうか。北海道のバンドとしてあいつらに何を見せれたんだろうか。あんな日こそ、たくさんの人に見せたかった。ただただ自分たちの力が足りなかった。エルキューブは、ガラガラだったんだ。だけどね、この日の俺たちは、自分でも信じられないくらいいいライブをしたの。全く覚えてないくらいだから。ずっと嬉しかったんだ。 モリシマが札幌じゃなくて苫小牧でやった意味とか、そこに俺たちを混ぜくれたこととか、「トリはバングにやってもらいます」って力強く話してくれたこととか。1秒を遅くしたかった、もっと。駆け足で過ぎていく俺たちの日々に、手を広げて、止まれー

鹿の散歩

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ずいぶん経ってしまったけども、7月15日のことを思い出しながら。 JOIN ALIVE、今年は出演できず。俺はアコギを持って二日目、レンタカーで向かった。ホームページにもタイムテーブルにも存在しない「鹿ステージ」をやりに。だんだんと雨が強くなっていく中、下道が続く。会場に着いて駐車場に入ると、田んぼのようになっていた。 今年の鹿ステージは心強い味方が一人いた。会場の隅っこにある「オルタナティブガーデン」というエリアを仕切っている吉武さんという人だ。俺は特別に許可を頂き13日に設営中の会場に向かい、オルタナティブガーデンにいる吉武さんに会いに行った。そこで15日のタイムテーブルなどを確認して、いろんな時間とかを考慮してすり合わせて、鹿ステージをオルタナティブガーデンで敢行することになった。もはや、鹿ステージなんだかオルタナティブガーデンなんだかって感じだが、「鹿ステージもオルタナティブガーデンも、どちらも決して壊すことなく」という共通認識が俺と吉武さんの中であったので、怖いものなしだった。時間は夕方からを予定した。 15日当日、会場について鹿ステージの予定時刻まで時間があったから、-KARMA-のライブを見た。札幌の高校生、秋のツアーにも出てくれる。楽しみだった。登場SEと同時にスコール、あいつらはニコニコしながらオンステージ、ばかやろう。そのままスコールは30分止まず、ライブ終了とともに止んだ。ちなみにその日、それ以降雨が降ることはなかった。人はこれを、「カルマの悲劇」と呼ぶ。何もかもベシャベシャになったため、一度車に戻りエアコンをマックスにして熱風で乾かしてると、レンタカーのバッテリーがどうやら上がってしまったらしく、救援を呼んだ。俺はこれを「カルマの悲劇」と呼ぶ。 車も無事に直り、一瞬の隙を見てベルベットサーカス横で鹿ステージを開催。もちろんしっかりとイベント運営チームとやり取りをして決定。ベルベット横が、鹿ステージの生まれた場所だ。鹿を見つけてベルベット横に連れて行き、数曲。 夕方になり、鹿をオルタナティブガーデンに連れて行く。アコギを背負い、カートに鹿を乗せながら移動する様は、子連れ狼そのものだった。到着してオルタナティブガーデンにて、一回目。ばっちりステージ作ってくれてて少し照れくさかったけど、吉武さんの愛を感じた。嬉し

見つからないまま

こんなことって、ある?ってことが立て続けに起きている。 いいことも、悪いことも、嬉しいことも、悲しいことも。どうすればいいのか、ずっと考えている。何ができるのか、ずっと考えている。どこにあるのか、ずっと探している。でも、見つからないんだよ、畜生だ。自分の中から生みだしたもの創り上げたものを、発信するのが俺の生活の主だ。だけど、発信ができない。見つからないのだ。 一人の人間、一人の男、一人の29歳が。 今はね、 気持ちのいい風が吹いている。 午前中から始まったひとつ目の仕事を終えて、今は喫茶店でコーヒーを飲みながら、たまに窓の外を見ながら、これを打ち込んでいる。平和だなあ。 東にも西にも、今すぐ飛んで行きたいよ。 全部すっ飛ばして、全部大丈夫にしたい。 でも、俺にはそれができないのだ。 見つからないのだ。

たとえば僕が雨なら

包丁でたたいて適当に和えればそれだけで少し美味しいし、靴が濡れても夕暮れで会えればそれだけで少し嬉しい。梅干しも雨も好きだけど、北海道には梅雨がない。 関東地方は梅雨が明けたらしいけど、元々梅雨がないと言われているこの街のこの連日の雨は、一体なんだっていうんだろう。 梅干しも雨も好きだけど。 梅雨の時期に梅雨の街に行ったことはあるけれど、それだけじゃ全部わからない。これが梅雨かあなんて、薄っぺらい感想しか出てこない。最初から最後まで見れなきゃ、俺には梅雨がわからないのである。 でも、この連日の雨に「あ、もしかしてこれって」などという根拠のない梅雨感を感じていて、そんな気持ちに少しワクワクしたりなんかやだなって思ったりもしてる。この街にはないって言われてるのに、ジメッとして、雨が降ったり止んだりしている。そして、この街にないのは、梅雨だけじゃないことに気づいてハッとする。 たとえば俺が雨なら、狙ったところに降り立ってすぐに話を聴けたり。 たとえば俺が雨なら、しんどい時は適当に会いにいけたり。 たとえば俺が雨なら、虹も簡単に架けてあげたり。 たとえば俺が雨なら、泣きたい時にはザーザー降ってごまかせたり。 たとえば俺が雨なら、歌の一つでも歌えたり。 たとえば俺が雨なら、どうしようもない夜は好きなメロディで窓辺に飛び乗れたり。 たとえば僕が雨なら、なんでもできたのに。 7月が始まりました。   

札幌のバンド、ライブハウス、ジェットサンダース。

6月24日を迎えるにあたって、今まで何千何万と話したり言ったり書いたりしてきたことを、改めてもう一度書かないと気持ちが壊れてしまいそうなので、書く。そして、これを記すのはこの投稿で最後にする。 2007年の春に札幌に出てきた俺は、その年のライジングサンロックフェスティバルに行き人生で初めて「ライブ」というものを体験した。そこで、生のライブってやばすぎってことに気づいて、その年の9月、ゼップ札幌にthe pillowsを見に行く。人生で二度目のライブだったはずだ。その日のピロウズはトリプルアンコールがあったけど当時の俺はアンコールとかそういうことの概念がほぼなかったので、アンコールはすればするほど出てきてくれると思っていたため特に驚かなかった。バカだな。 そしてその年の、確か12月。俺は人生で初めて、札幌のライブハウスに行く。(その頃ゼップがライブハウスだったとは知らなかった(ゼップはゼップだった)ので、人生初のライブハウスはこの12月の日に認定している) 場所は、札幌KLUB COUNTER ACTIONだった。 きっかけは、りゅうただ。 りゅうたとは、専門学校に入ってからできた友達で、俺にできた初めてのバンドメンバーだ。りゅうたの部屋は南7条西20丁目あたりのファミリーマートの近くにあって、その頃よく二人でファミマで色々買って、りゅうたの部屋で音楽を聴いたりしていた。りゅうたは、俺の持っていないものをなんでも持っていた。キングのビデオも、LINKのDVDも、黄色いギターも。そんなりゅうたの携帯は、いつも同じ着うたが流れていた。 「消えないで 行かないで 夜はまだ始まったばかり」 りゅうたの携帯はいつもそう歌っていた。それは誰の歌だと聞くと、「ジェットサンダースっていう、札幌の最強のバンドだよ」と言っていた。当時札幌のバンドなんて全く興味がなかった(ピロウズとKEMURIしか聴いてなかった時期だった)ので、「ふーん」という感じだった。 そしてその時はやってくる。 りゅうたが俺に、「シンゴ、明日カウンターアクションっていうライブハウスに行こう。」と言ってきたのだ。その頃の俺は9月のピロウズの余韻抜けぬまま、「ライブはやっぱゼップとかっしょ」みたいな気持ちでしかなかったので、「やだ」と言った。あと実は普通にゼップ以外

知らん顔で続いてく

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写真は転載など控えておくれやす。なぜなら、俺が撮ったやつではないから。でもいい写真見てほしい。 ワンマンツアー「少年少女の春の先」が終わって一週間が経って、余韻引きずる暇もなく日々は止まることなく流れていった。いってる。ギリギリの集中とふらふらの頭に、ほんの少しの休息を俺は誰にも邪魔させない。こういう時は、フクダライドンの歌が頭に流れる。元気にしてるだろうか、いつも力をくれてありがとう。 少年少女の春の先 5月5日、初日は帯広Rest。 (撮影:はな) 随分と時間がかかった気がする、ようやく帯広で俺たちだけのライブだ。これまでの日々に思い出がありすぎる。とある年の3月、氷点下、極寒の中の広小路での路上が、俺にはあまりにも大切すぎる。そして、解散してしまったけどthunderstruckというバンドがいたから、帯広をより強くぎゅっとできるようになった。ぎゅっとしたくなった。はじめての帯広ワンマン、Restのなおさんとやまさんがリハーサルから親身になって音のこと考えてくれる。かっこいいとこ見せたかった。どうだったかな。いろんな場所から来てくれてるの、なんとなくわかってる。中学生や高校生の男たちも多かった。キラキラした顔で見やがって。スーパー嬉しかった。この日は親友の誕生日だった。思っていたら涙が出た。おめでとう。 5月6日、二日目は札幌cube garden。 (撮影:はな) 雨。俺たちはこの街に住んでいるから、当たり前だけどそこら中にいる。ライブハウスでも地下街でもコンビニでも駅でも、本当にそこら中にいる。路上もやりたいなって時に簡単にできる。だからこそ、この街でステージに立つ時はどこよりも闘いである。強く優しい闘いをしないといけない。この日、ステージで俺が感じていたことをフロアの人も感じてくれているような気がした。完全に相思相愛な感じだった気がするんだよなあ。そんな二時間だった。絶対にいいライブをした感触があって、頭がぼーっとした。照明も音も、最強の布陣である。打ち上げでは、あまり食べれなかった、でもお酒は飲んだ。字と思いが沁みた夜に、また札幌を好きになれて走り出したくなった。この日は幼馴染のはるかの誕生日だった。おめでとう。 5月